関ヶ原陸軍火薬庫跡 その2

こちらのヘルレイザーは木骨ではなく、鉄骨の本物の様子。

本室内部。
特に何も置かれていない割には埃っぽい。


五番目の火薬庫から更に東へ向かったが、ここから先は火薬庫発見できず。周辺には若干の削平地も見られたので、建物跡かもしれない。

場所を変えて旧関ヶ原スケート場跡へ。三番目の立哨台がある。



土塁の説明板。
本洞窟、半洞窟利用というのは先に紹介した火薬庫のこと。山に穴を掘ったものが本洞窟、山裾につくって土をかぶせたものを半洞窟という。

この辺りの火薬庫は一棟ごとに独立しており、周辺を土塁で囲んだ形となっている。写真は土塁内部へ通じるトンネル。

土塁内部。
建物は残っていないが、まわりをぐるっと土塁に囲まれている。

トンネルを反対側から撮影。

トンネル内の脇には排水溝が見られる。

天井をはじめ、トンネル内にはほとんど損壊の様子が見られない。

個人的に関ヶ原と天候的な相性は良くないのだが、雨男筆皇と行ったもんだから晴れてた空が一気に暗くなり雨が降ってきた。とりあえずトンネル内で待機。

道を少し東に行くと「日本武尊の腰掛台」の看板があり、そこから北へ藪道を50mほど行くと、二つめのトンネルがある。
道路からは分かりにくいので偶然に見つけることは難しい。特に夏はね。



トンネルの手前右手には何らかの設備跡が残る。水関係っぽいがよく分からない。

二つ目のトンネル。
途中補修もあったかもしれないが、80年以上経っている。明治〜昭和初期の建造物は非常に造りが丁寧だ。

トンネル内部の補修跡。
板で漆喰を押し固めてあった。

トンネル南側から撮影。
とても重厚感のあるコンクリートだった。

トンネルを出て北側(土塁内部側)から撮影。

土塁内部。
こちらも建造物は残っていない。

猪らしき動物の足跡。
亥年生まれの二人だが、できうることなら遭遇はしたくない。

前頁 戦争遺跡トップ次頁
観光トップ