関ヶ原陸軍火薬庫跡 その2

本室の一番奥から撮影。
本室の奥行は12.75m(「しらべる戦争遺跡の辞典」による)。

天井もヘルレイザー状態。
良く見ると、この辺りは溝は残っているが木骨(?)自体は朽ちたのか見られない。

本室の一番奥部分。
ウェルカム状態なのでもっと落書きされてるんじゃないかと思ってたが、ほとんど無かった。

そしてこの火薬庫唯一の落書きがこれ。左側の「魁阜」は「魁 男塾 岐阜校」の略。

前室から本室と外郭部分の間の空間を廻ることができる。
外郭部分はこうして掘り下げた状態となっており、ほぼ全方位を囲っている形となっている。

左側が本室の外壁。
多少暗いくらいなら目も慣れてくるが、さすがにここはほとんど光が入らないため、しばらくいてもさっぱり見えてこない。
どうでもいいが独身時代、栄養がありそうだと毎日「かっぱえびせん」を食べていたら鳥目になった。食事はバランス良く摂る必要がある。


(イメージ図【D】地点)

本室側下部分に通気口らしき穴が見えるが、これは本室の床下部分に通じており、本室にはこの通気口の出口はない。
地中からの湿気や気温変化を防いでいる。

天井部分も外郭部分が覆っている。
部屋の中にレンガを置いて、その上に箱を載せている状態。俗にいうところの魔法瓶と同じ原理。

懐中電灯の電池を忘れたため、デジカメの液晶の明るさだけで前に進む。この排水溝でつまづいた。ひっかけた瞬間、深い穴でも開いているのかと思い、あやうく走馬灯の電源を入れるところだった。

一番奥まで行くと左側に道が折れ、本室の奥部分の裏側に行き着く。このまま本室外側をぐるっと回り、前室に再び戻ってくる。


(イメージ図【E】地点)

最初の火薬庫の南側にある二番目の火薬庫。
最初のものと比べると出入口外側のコンクリートの開き部分が少々小さい。

こちらは後付シャッターはないが、外側に落書きがある。

前室部分。
落書きが多い上に苔ティッシュで何となく荒れた感じがする。

本室部分。
同様に荒れている。床にコンクリート片らしき物が落ちているが、天井から崩れている様子はない。

二番目と三番目の火薬庫の間にあった陥没跡。
一、二、三番目火薬庫の間隔からすると火薬庫跡ではないと思われるが、円形陥没で人工的な跡だと思われる。
全然遺構とは関係無いかもしれない。

一番目と二番目の火薬庫の間にあった削平地。恐らく何らかの建物が建っていたのだろう。

三番目の火薬庫跡。
一、二番目と比較してコンクリートの開き角度が小さく、道路幅拡張の際に若干削られている。

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