大和ミュージアム その3

現在海の底に沈んでいる大和の状況を示したパネル。
以下説明版。
「アメリカ軍の猛攻撃によって爆沈した「大和は、左に大きく傾き横転しながら水没しました。現在九州南西沖の水深約350メートルに沈む「大和」の船体は主砲火薬庫の爆発により二つに折れており、主砲塔、副砲塔は船体から抜け落ち、右舷のスクリューは海底に突き刺さっています。また艦橋は艦首のバルバス・バウの下敷きになっており、マストは抜け落ちた1番主砲塔の船体の穴の横にひっかかっています。海底には船体の破片や各種砲弾、乗組員の靴などが散乱しています。」

より分かりやすいジオラマ。それほど大きなものではないが、結構細かく作られている。
後ろでは1999年に放映された「大和プロジェクト(海底探査の様子)」のビデオが流されている。
菊紋章のアップは何度見ても鳥肌がたつ。

よりアップ。
もし自分に水深350mに耐えられる強靭な肉体と、海水から酸素を取り込む特殊な能力があれば潜って見に行きたいものだ。
懐中電灯じゃ駄目だろうから、いいライト買って。


展示室B。零戦や回天などの実物展示が行なわれている。こちらも吹き抜けを通路が巻いており、1/10大和ほどではないが、色々な角度から見学できる。

展示室Bの奥から入口方面を撮影。左手が大和ひろばで、通常左手奥から入室する。

2階から撮影した零戦。これに関してはもう少し色々な角度から見られるようにしてほしかった。


正面からよりも、上から写真を撮る人が多かった。もちろんこの場合も、若い人やカップルでなく、おじさん調の人が多かったというのは言うまでもない。
安城市の明治基地は弾薬庫や建物の基礎などが残っているが、以前見学に行って見つけられなかった

本物かどうか分からないが250kg爆弾も展示。六二型は大戦末期の型で、特攻にも多く用いられていた。

この機体は昭和53年に琵琶湖から引き揚げられた後、京都・和歌山で展示されていた。まだ和歌山で展示されていた頃、行こうと思っていたのだが、その直前で公園が閉鎖され悲しい思いをしていた。

小学生の頃からお約束の「大和&零戦」ファンの自分としては何度見てもいいものだった。正直大和1/10はそれほど感動しなかったけど。

この機体に載っていた31甲型エンジン。

真上から撮影した零戦。
この角度で撮影したのは初めて。

操縦席内もほんのり見える。

13mm、および20mm機銃(実物)。


酸素魚雷。
航続距離が長い上、雷跡が分かりづらく、海戦において連合軍を恐れさせた兵器。
当時実用化できたのは日本だけであった。


酸素魚雷を改造して作られたのが特攻兵器「回天」十型(試作型とのこと)。
その名の通り、人間魚雷として有名。これまで絵や写真でしか見たことがなく、今回館内で一番インパクトがあったのはこの回天。普通に考えて人が入るとは思えないほど狭い。飛行機で突っ込むのも嫌だけど、これはもっと嫌だ。発進時にまわりの人が手を振ってくれても見えそうにないし、暗いだろうし、寂しそうだ。故障も多く、多くの戦果は挙げられなかった。

後部。どこから見てもやはり狭そうだ。酸素はどれくらいもつのだろうなどと考えてしまう。


回天説明板の一部。速力8ノットとあるが、「魚雷」というイメージからすると結構遅い。

乗組員が特攻出撃前に書き残した遺書。
これとは別に、出撃前に録音された遺書代わりの肉声も再生されている。これは泣ける。

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