新城市鳳来〜富山村 その3

今回旅のお供をしてくれたラングラーTJ。
4000ccガソリン車で燃料計の減りが恐ろしく早かった。こういう時愛車の燃費の良さがありがたく思える。

佐久間ダム展望台からの眺め。

15:40
県道1号から富山村へ。すれ違う車のほとんどはトラックばかり。道は狭く、カーブも多いので結構ひやひやする。

16:15
富山村メインストリート到着。アクシデントその他で到着がすっかり遅れてしまった。富山村消滅まであと4日ばかり、観光客でごったかえしていると思っていたが、会ったのは妙にハイテンションな大学生のみ。

村で唯一の喫茶店として村のパンフレットや案内板にも載っている「栃の木」。
勇気を振り絞って話を聞こうと思っていたがすでに閉店していた。すこしほっとしたのも事実。

奥に見えるのが村立富山小中学校。資金が不足する中、村民たち自らがお金を出し合って校舎を建てたという。
現在では山村留学など積極的な活動も行っている。

同じくメインストリート。標識の右側が郵便局。村にほとんど平地がないことが見てとれる。

役場近くの観音堂。1508年、この土地を治めていた熊谷直盛が十一面観音を祀るために建立したとされる。
現在の堂は1824年に再建されたものらしい。


村の歴史は南北朝時代の落武者が暮らし始めた14世紀頃からはじまる。1877年河内村・市原村・大谷村・佐太村が合併し富山村が誕生した。一時は養蚕業や林業で栄え、1500人ほどの人が暮らしていたが、その後は産業の衰退で序々に人口は減少していった。昭和30年の佐久間ダム工事による中心地区の水没が駄目押しとなって、昭和58年以降離島を除く日本最少の村となった。
人口が200人を切るところまでいったが、田舎暮らしを好む人達もやってきたりで現在は200人を少し越えるところで推移している。

村の駐在所。
無死亡事故村内10,000日達成ののぼりが誇らしげ。中にはほとんど信号を見たことがない子供達のために実物大の信号機の模型が置かれていた。

役場。
パンフレットをもらう為に勇気を振り絞って入ってみた。
オールカラー上質紙の立派なパンフレットをもらって喜んでいる自分に役場の人が更に笑顔でこう尋ねてきた。


「数があまりないんですが、村のテレカもありますよ」


「…はい、御願いします」


少しこわばった笑顔で返答。数が少ないというレア目的で買ったのではない、気が弱いから断れないだけなのだ。

林業センター前の看板(?)
こちらも「ミニ村」と誇らしげ。合併後はやはり取り外されるのだろうか。

反対側から撮影したメインストリート。

繁華街といってもほとんど平地はなく、上下の移動は写真中央に見えるような小さな石段で行う。

役場から1キロほど離れたJR飯田線大嵐駅。こちらは静岡県水窪町となる。平成9年に改築された駅舎はとても1日17本しか列車のこない駅とは思えないほど立派。

それもそのはず、建物自体は「大嵐休憩所」も兼ねているのだ。事業主体は県すら異なる富山村。

待合室兼休憩所。
室内は清掃もいきとどいて居心地が良い。

改札口?

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