常滑やきもの散歩道Aコース その3

残念ながら意味不明なオブジェ。

登窯公園前の家(?)。元々は陶芸家がいたらしいのだが、現在は亡くなってしまっているらしい。地面にはたくさんの陶器の破片、あちこちに置かれた謎のオブジェ、ついつい興味を持って近寄ってしまった。


※現在は取り壊されています。

最初、お店かと思ったので、庭にいたおじさんに話しかけた。色々常滑焼について教えてくれた。質問にはうなずくだけで答えが返ってこなかったことと、同じことを5回話してくれたことが少々残念。
写真は常滑焼の素材について教えてくれているところ。
どうやら店ではないようなのだが、個人宅にも見えない。果たして…。

顔は昔、社会の教科書で見た鑑真そっくり。ただそのアグレッシブな首から下の姿に少々とまどいを隠せない冬の昼下がりだった。


 ←鑑真像

二階の雨戸に書かれた屋号。おじさん曰く、ここの陶芸家は腕がとても良かったらしいが亡くなったとのこと。

謎の裸身像。子供が「おっぱい、おっぱい」と鷲掴みにしていた。子供の両親の夫婦円満ぶりが目に浮かぶ。

おじさんがとても褒めていた常滑焼の甕。となりに置かれていた甕は他所の土が混じっているとのことでけなしまくっていた。

二階にも謎のモニュメント群。

軒先のモニュメント群。常滑焼きにこだわらず、幅広いラインナップであった。

場所を戻して登窯公園の登窯跡へ。
ここの見所はこの10本の煙突。
明治20年に築かれ、昭和49年まで使用されていた。両側に行くほど煙突の高さは高くなる。通気性を利用して均一に焼くためにこうなったらしいが、そのあたりはなにぶん物理「2」の自分、ちんぷんかんぷんだ。


この煙突を見るためには公園裏側に回りこむ必要がある。撮影している時、ここに来たおばさんは煙突の下で一所懸命煙突を探していた。「メガネ、メガネ…」のコントを思い出したのは言うまでもない。

全長22mをほこる巨大窯。最盛期には同規模のものが60基ほどあったらしいが現在残っているのはこれだけ。
国指定の重要有形民俗文化財となっている。

焚き口。
明治期には焼成として薪や松が用いられていたが、次第に石炭にとって変わられたため、それまでの窯を改良して焼いていた。折衷式と言われる、薪・松葉と石炭の両方を焼成に用いるタイプがこれ。

出入口。ここも内部は自然に解けた釉薬で艶が出ていた。

出入口、引いて撮影。

登窯の10本煙突。こうすると両側が特に高くなっている様子が分かる。

Aコースも終盤に差し掛かる。
小高くなった丘から見下ろす町と積まれた土管、簡単に見られる風景ではないのだが、それが妙に自然に見えるのが常滑の魅力なのかもしれない。

浄土真宗光明寺。

本堂の前に置かれていた甕ももちろん常滑焼。

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