半田赤レンガ その3

当時の広告やお中元用の箱。当時のビールはかなり高価だったらしく、1ダース送るのはまれだということだった。

この建物は戦争遺跡としての一面も持つ。戦時中の中島飛行機時代には米軍のP51から機銃掃射を受けている。
写真は半田空襲に関する当時の新聞。

機銃掃射を受けた壁面から取り出されたP51の銃弾。


 日本分断の危機!
 米軍占領時の紙幣の説明

往時の赤レンガ周辺の写真。写真右側(東側)は一部解体されてしまって今は無い。

 


同じく往時の赤レンガ(左)。解体された東側部分が青く描かれている。右側の写真は現在の赤レンガをなるべく近い方角から撮影したもの。

しつこいかなと思いつつ、往時の赤レンガ。まわりのレンガ建造物がノスタルジック。

いい加減に怒れてくるかもしれないが、日本食品化工の赤レンガ(写真中央左側)。まわりの工場建物の中で浮いた存在となっている。


解体前と後の一階部分平面図。写真右下の青部分は明治31年当初の創建部分。

 


展示されていた箱は表面の紙部分が破れていた。よく見ると紙の裏側には名前がびっしりと書かれてある。「耳なし芳一」を彷彿させるには充分な迫力。

カブトビールの瓶と三ツ矢サイダーのマグカップ。プラスチックケースに入っていたが、ちょうどテレビの取材でケースを外したので便乗して撮影。三ツ矢サイダーの発売元、「帝国鉱泉株式会社」と合併していたのは初めて知った。

すこぶるジャパネスクなラベルを接写。

往時のポスター。船員が争ってカブトビールに手を伸ばしている。最近に見られない直接的な広告効果を見せている。


廊下天井部分。穴が開いていたので二階が見えるかもしれないと思い、ズーム撮影。しかし、この建物は室温保持の為、各階の間はかなりの隙間があるので、残念ながら二階の床部分しか写らなかった。

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