四国18切符ツアー(徳島編) その2

コンクリート橋から駐車場へ戻る。かずら橋と反対側には何やら大きな建造物の工事中だった。これでさらに雰囲気はなくなっていくだろう。
後で聞いたのだが、ヘリポートを作っているらしい。平地が少ないのは分かるがちょっといただけない。

売店で売ってた川魚やキノコの炭焼き。「写真撮らせてもらっていいですか?」と了承をとる気弱な自分に、買わない客に愛想のないおばさんがうなずく。

西祖谷村から東祖谷村へ移動。ここで歴史資料館を見学した後、西祖谷に戻り、200mの断崖に立つ勇気ある小便小僧と肩を並べて立小便する予定。

入場料は400円、基本的にはよくある民俗資料館という感じ。農耕具やら生活用品やらが並ぶ。
そんな資料館になぜ足を運んだかと言うと…。

  


この平家の赤旗が目当て。平家の末裔、阿佐家に伝わるもので、本陣用と先陣用の二種類がある。こちらは本陣用で本来は赤と紫で交互に染められていたが、現在は茶色と緑灰色のシマシマ。「八幡大菩薩」の文字は弘法大使が書いたとされる。残念ながら複製品。

ところどころのシミは血痕らしく、矢によって空いた穴というのも残っている。

こちらは先陣用の小型タイプ、こちらも色がすっかり褪せてしまっているが、嵯峨天皇が書いたと言われる「八幡大菩薩」の文字は今でもはっきり確認できる。

他に客はなくビデオ鑑賞。コーヒーを入れてもらった。結構田舎の資料館の人は客が少ないせいもあってか話し好きな人が多い。そんな雰囲気が嫌いでないので結構長い時間話し込んでしまった。マイスケジュールはどんどん押していく、200mの断崖で立小便しなくてはいけないのに…。
西祖谷のかずら橋には落胆した旨を話すと、それならばということで奥祖谷の二重かずら橋を勧められる。今なら料金所に人もいないので無料らしい。
おばさんが熱心にすすめるので、名残惜しいが200mの断崖立小便をパスすることにした。せっかく自分の肝っ玉の凄さをご披露しようと思ったのに非常に残念。

1185年、壇ノ浦に沈んだとされる安徳天皇であるが、実はこの地に落ち延びたという伝説がある。残念ながら9歳(壇ノ浦時は5歳)で病没し、この八幡神社で火葬されて葬られたとのことである。
ちなみに壇ノ浦後、発見されなかった三種の神器の一つ「草薙の剣」は、天皇と共にこの地に持ち込まれ、剣山の頂上近くに奉納されたらしい。「剣山」の名前の由来もでもある。

栗枝渡八幡神社の安徳天皇の火葬場跡。資料館でおばさんに安徳天皇は本当にこの地に落ちてきたと信じているか尋ねたところ、伝説ではあるが信じているとのことだった。

木柱横の石組。こちらが火葬場跡なのだろう。さすがに踏み込んでいくわけにも行かず、苦しい体制でシャッターを押す。

幼くして亡くなった安徳天皇を祀る八幡神社。まわりには観光客は誰もおらず、畑仕事のおばさんが「私しゃ足が悪い」を連呼しながら歩いているだけだった。

石を飲み込んだ大木。

  


これぞ落人伝説にふさわしい土地。平地の少ない山腹にぽつんぽつんと民家が見える。あまり集落らしき感じがせず、家の一軒一軒が独立した感じ。西祖谷で戻らずに良かったとこの時初めて思った。

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