太鼓櫓 | ||
時計が存在しない当時、時を知らせる太鼓をおさめた櫓。一国一城の制以降の城のほとんどに備わっていた。太鼓櫓を持たずに鐘楼でその代わりとした城もある。写真は丸亀城太鼓櫓で大手一の門も兼ねている。 →鐘楼 |
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たたき土居 | ||
土砂を叩き固めた土居。土砂を叩いては乾燥させ、その上に更に土砂を叩き固めていき、層を築いてき強固な土居とする。傾斜角としては45度前後とされる。土砂に粘土や油を混ぜることによって強度を高めたものもあった。 | ||
竪堀 | ||
→堀 | ||
多聞櫓 | ||
塁上に沿って建てられる細長い櫓で、城壁の役割も果たしているため防御上重要な箇所に建てられる事が多い。 松永久秀が築いた「多聞城」がその名の由来と言われている。 写真は高知城東多聞櫓。「塁上に沿って建てられた細長い櫓」を絵にかいたような櫓。 |
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千鳥破風 | ||
破風(屋根の妻部分につく飾り)の一種で装飾や採光を目的として作られたものが多い。二枚の板を逆V字に合わせたような形が特徴。切妻破風と間違えやすいが、千鳥破風は出窓のように破風が部屋状になっている。 →入母屋 →切妻破風 →唐破風 |
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着到櫓 | ||
→着見櫓 | ||
築地塀 | ||
本や説明板によって説明が異なり、混乱しやすい塀。 親柱の有無や横筋の有無が色々書かれているが、親柱や横筋の有無は関係ないらしく、粘土を厚く積み、上に屋根をのせた塀ということになっている。多くは親柱を持ち、表面は漆喰が塗られている。写真は二条城築地塀。 | ||
月見櫓 | ||
城の守備という観念はほとんどなく、風流を解する為の櫓。 写真の松本城月見櫓は三方吹き抜けの開放的な造りで、築かれたのも泰平の世となった江戸寛永年間である。 |
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着見櫓(着到櫓) | ||
着到櫓とも呼ばれる。虎口の見張り、将兵の参陣状態を確認する為の櫓。 写真は高松城の着見櫓で水手御門の監視を行う為の櫓。 |
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外側から撮影した水手御門。現在は埋め立てられてしまったが、門の外側は当時海だった。写真左手が着見櫓。水手御門を監視していた様子が伺える。 | ||
辻馬出 | ||
→馬出 | ||
続櫓 | ||
付櫓とも呼ばれる。天守、櫓、櫓門等に付属する櫓。通常は一重一階となっている。 写真は高松城着見櫓に付属する続櫓、現存遺構で重文指定されている。 |
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剣塀 | ||
建造物に忍び込む忍者を防ぐ為、軒先に刀や槍の穂状の刃物を張り出させた塀。 写真は名古屋城天守閣の剣塀(渡塀)。 →忍び返し |
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悌郭式縄張 | ||
→縄張 | ||
出角(出隅) | ||
→曲輪 | ||
鉄砲狭間 | ||
→狭間 | ||
寺勾配 | ||
→石垣 | ||
天下普請 | ||
天下統一を果たした豊臣秀吉、関ケ原で勝利を収めた徳川家康、および将軍職を継いだ秀忠、家光らが「天下様」の名において諸国大名に命じて建築・修築させた城。これにかかる費用(材料・人夫)は各大名持ちとなり、彼らの力を削ぐ意味合いも持つ。普通は江戸城築城までのものをいう。 天下普請による城(主な城) 豊臣秀吉−名護屋・伏見 徳川家康−江戸・福井・二条・彦根・加納・駿府・名古屋・高田 徳川秀忠−江戸・大阪 徳川家光−江戸・大阪・二条 |
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天守(天主) | ||
→天守 | ||
天端石(てんばいし) | ||
→石垣 | ||
天秤櫓 | ||
彦根城内に建造された櫓で、橋を中心に左右に櫓を配し、天秤のように見えることから名づけられたが、実際には左右の櫓の切妻方向が逆になっている。 長浜城大手門が移築されたものと言われている。現存遺構で重文指定。 彦根城天秤櫓パノラマ |
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胴木 | ||
→石垣 | ||
独立式天守 | ||
→天守 | ||
土橋 | ||
堀に架けられた土居や石垣で築かれた橋。 水堀の場合、土橋を中心として左右で水位を調整する為にも用いられた。 写真は新府城土橋。 |
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土塁 | ||
土を盛った築かれた土手。堀を作る際に出た土で盛られ、曲輪を囲むように築かれることが多い。 石で築かれた石塁に比べると自然、高さや角度に制限があり、耐久度も低いのが欠点となる。同角度であった場合、足がかりがなく、滑りやすい為石塁より登りにくい。 |
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