逆茂木
俗にいうところのバリケード。葉が茂った枝を使用すれば目隠しにもなる。当然ながら枝や尖らせた先端は敵方に向ける。
狭間
城内から矢や鉄砲を放つ為、塀・石垣・櫓/天守等に開けられた穴。石や大砲用の狭間もあるが、ほとんどは矢を放つ為の「矢狭間」と鉄砲を放つ為の「鉄砲狭間」となる。外から攻撃されにくくする為、また広角に攻撃ができるように、外側の穴は小さく、内側は大きくとってある。
写真は松本城の矢狭間(左)と鉄砲狭間(右)。


矢狭間
矢狭間は立って攻撃をするため、割合高い位置に多い。穴の形はほぼ例外なく縦長の長方形となっている。銃の戦に占める割合が多くなるにしたがって矢狭間の割合も少なくなる傾向がある。


鉄砲狭間
しゃがんで攻撃をすることが多いので矢狭間と比較して一段低い場所に多い。穴の形によって名称が異なる
 丸型:丸狭間
 三角型:鎬狭間
 四角型:箱狭間
算木積
→石垣
三重櫓
三層三重の櫓。一国一城の制が発布された後に建造された城に多く、幕府に遠慮して本丸に建てられた三重櫓をもって天守のかわりとしていた(津・福井城等)。
高松城着見櫓(現存)
三ノ丸
二ノ丸を守備する為の曲輪。城主の厩、重臣の屋敷等が置かれていることが多い。
下見板張
城郭の初期段階に多く見られた外壁で、漆喰を用いない板張の壁。
写真のように板の下部を重ねて張っていき、板が下を向いているので下見板張と呼ばれる。
時が移るに従って、「下見板張」→「壁上部漆喰・下部下見板張」→「全面漆喰」というように移っていったが、漆喰は雨に弱く、塗り替えを頻繁に行わなくてはならない。それを避ける為に下見板張りを用いた城も多いので一概に古いとも言えない。


1611年に一応の完成をみた松江城。古い城ではないが、ほとんど下見板張となっている。
松本城天守。上部は漆喰、下部は下見板張となっている。
忍び返し



建造物に忍び込む忍者を防ぐ為、建造物や軒先に刀や槍の穂状の刃物を張り出させたもの。また熊本城のように建造物の最下層を石垣より張り出させて築かれたものも忍び返しと呼ばれる。
写真は高知城現存天守の忍び返し。


→剣塀
想像上の動物で俗にいうところの「シャチホコ」。奈良時代に大陸より伝来し、当時の寺社の棟飾りとして多く用いられたがその後一時廃れた。しかし室町時代以降には火除けのまじないとして再び脚光を浴び、多くの城に掲げられることになった。
写真は清洲城の鯱。
銃眼
鉄砲狭間のこと。
→狭間
障子掘
→掘
城代
支城などを城主に代わって治める人。通常家臣や土豪等がこの任にあたった。
城番
江戸時代における大阪城・二条城の城代。この任務を果たすと出世の近道と言われた。
鐘楼
時を知らせる太鼓をおさめた櫓(太鼓櫓)を持たない城で見られる楼閣。やはり中に太鼓をおさめており、その太鼓をならすことによって城下に刻を知らせた。


写真は高遠城太鼓櫓。太鼓櫓とあるが、実際は鐘楼にあたる。


→太鼓櫓
陣屋
戦国時代においては大名の家臣で城を持つものも多かったが、一国一城の制以降、一万石以下の大名や支藩等は城を持つことを禁じられた為、それまでの「城」に変わり「陣屋」と呼ばれる構えを築いた。櫓・石垣等が無かったり、あっても規模の小さなものであった。
捨堀
城外に掘られた他のから独立した。敵の動きを分断し、食い止めるのが主な目的。
角おとし
→曲輪
隅櫓
曲輪の角に築かれた櫓。敵の動きに対して視界がききやすく、防御もしやすい為、多くの城で見ることができる。一重から三重櫓まであるが、そのほとんどは二重櫓である。




江戸時代に入ると、一国一城の制により大規模な天守の築造が難しくなった為、弘前城のように既存の隅櫓を改築し、実質的な天守とすることもあった。
写真は弘前城の辰巳櫓を改築した天守(現存)。写真では破風等の飾りが見られるが、内側(本丸側)には飾りが見られない。

下の写真は名古屋城の西南隅櫓。
箭眼
矢狭間のこと。
→狭間
千畳敷
その名の通り、城内の広い平地。御殿が建っていたことが多い。「千畳敷」の名をもつ平地を持つ城は珍しくない。
惣構
三ノ丸の外側にさらに城下町を形成し、城下町全体を石垣等で防御している規模の大きな城。
一国一城の制以降、城下町がその国の政治、文化の中心地となり、ほとんどが総構を備えている。
層塔型天守
→天守
惣堀
惣構に掘られている。城下全体を堀で囲み防御を高めたもの。全て人手のよって掘られる事は少なく、ほとんどが自然の河川を掘として利用している。
惣門
惣曲輪に築かれた防御力の高い門。ほとんどが枡形門となっている。