三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所
小牧南工場資料室
その1
(愛知県西春日井郡豊山町  2003/7/28)
(0568)28-1112
月曜日と木曜日のみ開館。入場は無料だが予約が必要。

かつて日本が世界に誇った戦闘機、「零式艦上戦闘機」を生み出したことで名高い三菱。ここ愛知県豊山町にある三菱重工業資料室には、この零戦の復元機を始め、戦前から現在に至るまで航空・宇宙に関する資料が展示されている。そして今、この資料室の目玉は戦争末期に開発されたロケット推進戦闘機「秋水」である。2001年から機体の復元機は展示されていたが、その後エンジンの設計図が発見されたのを機に半年をかけて復元、その後諸問題により資料室は閉鎖されていたが、2003年6月から機体・エンジン共に展示されている。

資料室入口から撮影。資料室は大きな倉庫に内張りをした感じのもの。
まず目に入るのが「零式艦上戦闘機52型」と「秋水」の復元機。他に4,5人見学者がいたが、ほとんどの人がこの2機に釘付けで、その他の展示資料をあまり真剣に見ている人はいなかった。


あまり長居してはいけないような雰囲気が感じられてしまうのでそうなるのかもしれない。


 拡大図

「零式艦上戦闘機52型甲」。
有名な話ではあるが、零戦の名前の由来は、この戦闘機が海軍の制式戦闘機となった年が紀元2600年(神武天皇即位の年を紀元1年とする日本特有の元号)であったためにその末尾「00」からきたもの。
紀元2597年に制式戦闘機となったものは「97式」と呼ばれる。


11型・21型・22型・32型・52型・53型・64型の形式がある。強力な火力、長い航続距離、高い運動性等から日本の主力戦闘機として数々の戦功をあげた。しかし次第に弱点も研究され、連合軍戦闘機の能力向上、熟練パイロットの不足、資源の枯渇等から押され気味となり、戦争末期には数多くの零戦が特攻機となった。

零戦から新しく取り入れられた完全引き込み式の主脚。空気の抵抗を減らす為に有効であった。


胴体中央の水中モーターらしきものは「増槽」と呼ばれる予備燃料タンク。空中戦時等には切り離す。

20mm機銃。これと7mm機銃が2門ずつ装備される。20mm機銃はかなりの破壊力を持っていたが、7mmに比べると命中率が低かったようである。

胴体側面の名札。「零式艦上戦闘機五十二型甲型」と記載されている。製造番号「三菱第4708号」。


昭和19年に大江工場で製造された。昭和58年にミクロネシア・ヤップ島のジャングルで残骸が発見されて復元された。


素朴な質問だが、搭乗員はどうなっていたのだろう?

横から撮影。小学生の時、このスタイルに幼心を鷲掴みされて本を読み漁り、零戦の絵ばかり描いていた。

栄21型エンジン。1010馬力。
車と同じで初期のものより後期型の方が馬力は上がっていったが、それにあわせて自重が重くなり、その特長であった運動性を殺してしまった。


ちなみに自重はランクルより軽い(!)1876Kg。

後部から撮影。フラップは下りている。

尾翼とかわいい尾脚。尾脚も完全引き込み式。なにやらティラノザウルスの前脚のイメージがある。

操縦席へのタラップが付随していたが立入禁止。非常に残念だった。

復元に使用されなかった部品。ジュラルミン・アルミでパーツ一つ見ても軽そうに見える。

零戦のデザインで非常に気に入ってる水滴型風防。非常に美しいと思いません?引き戸式になっているが触れないのでその写真は無し。

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