遠江射場 その4

大きな貯金箱を彷彿させる観的壕の西側外観。

着弾観測所なども少し前まで残っていたようだが現存しない。

信管検査観的所のすぐ北側に残る信管検査指令所跡。
Sさんによると「司令所兼送信所兼信管に電気を流す電源供給室」とのこと。

枯草で窓部分ははっきりしないが当時は鉄格子&ガラスだったらしい。

東側から撮影した(略して)信管検査指令所。
見えている窓は板で封じられているが、反対側に残る窓には割れてはいるがガラスが残っている。まぁどちらにしても往時のものではないが。

ものすごく四角い信管検査指令所跡の正面。現在は倉庫として使われているようだった。

よくみると入口横には「昭徳丸」とあり、船でも保管しているようだ。その上にも文字が見えるが判別できず。「舎」…?

戸の隙間から盗撮。
木の小さな船が見えるが、あれが昭徳丸らしい。

往時の信管検査は電気を流したり板にぶつけて検査したとのこと。


旧砲廠の木像建築。現在は出島織物となっており、中から機織機のせわしげな音が響いていた。声をかければ中を見せてくれるらしい。
昔は機織工場なんて珍しくなかったが、最近はめっきり見かけなくなった。当時は近くを通るとうるさいなと思っていたが、今聞くと何となく懐かしい音だ。

砲廠跡の前に残るプラットホーム跡。
荷物を下すためのトロッコ用。

プラットホーム東側に残る下見板張の木像建築。恐らく往時からのものだとは思うが詳細不明。

先程の砲廠を大胆に縮小した感じであるが、こちらは現在使用されていないようでかなり傷んでいた。

火薬溶触炉室。
一般家庭の裏側にあって近くまで行くことができなかった。
ちなみにこの付近の平屋建の古い家のほとんどは当時の施設に手を加えて民家となったものらしい。

道路沿いに近くで撮影しようとすると民家の陰に入ってしまい、かといってこんな見晴らしのいい畑を横断して近づくのもリスクが大きい。ということで、何とも中途半端な写真になってしまった。

この火薬溶触炉室西側・南側には模擬砲弾製造所跡が残っている。南側は改変が激しいが、西側の裏には四角いコンクリート製のボイラー室も残っている。

見せてもらった写真ではページ上方の信管検査指令所跡を少し潰したような感じだった。

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