遠江射場 その3

原点砲列の西側、竹藪の中に埋もれている発射指令所兼被害所跡。

あまりにも竹が繁りすぎてとてもじゃないが外観全体の写真は撮れない。
入口の両側にはスリット窓が東側(原点砲列側)を向いて開いている。

司令所内部。
足の踏み場もないくらい木材が積まれていると言いたいところだが、本当はちょっと足の踏み場がある。

倉庫として再利用していると言いたいところだが、本当はただのガラクタ置場である。

なぜかポンプ車が置き捨てられている。

近づいてみると「睦濱村消防団 第一分団」と読める。睦浜村はこの付近の旧村名で、1942年から1955年まで存在した割と短命な村。
ということはこのポンプ車もそれくらいのものだろう。

ちなみに中学の国語の先生は睦子という名前だった。当時「睦」が読めなかったので、「りくこ」ってすごい名前だなと感心したものだ。

入口の両脇にスリットのついた窓があり、その下には器具か肘などを置いたと思われるテーブルというか出っ張りがある。

説明板か案内板かと思って見てみると、「掛川・新茶マラソン」…。

さすが野にも山にも若葉がしげる土地柄だ。


北側にある発射指令所兼被害所兼送信所兼着弾観測所跡。東京都特許許可局許可局長に似ているが全く関連性はないらしい。
こちらは藪に埋まっておらず外観全体の撮影が可能。南側の司令所よりこちらの方が少々大きい。

今は全く痕跡も残っていないが、東側の原点砲列は当時この前まで置かれていたとのこと。

入口は後付シャッターが閉まっており入ることはできない。更にその入口を守るためにトラクター型ロボットが置かれている。
アフリカのチンコケースばりに突き出たマフラーの先にかけられたヤカンが妙に誇らしげだ。

こちらの司令所にもスリットのある窓が使われているが、南側では見られない小窓もついている。
トラクターロボがいるから入れないが、内部にはトラクタ、耕運機はいっているとのこと。また戦後すぐには佐田岬の施設同様、人が住んでいたらしい。

入口上方には何か金具でもついてた跡があった。

更に小窓の上あたりにも何かついてた跡がある。
Sさんによると円筒形の瓦の堅樋が付いており、その堅樋受けとのこと。

屋上の着弾観測所に上がるためのコンクリート階段。
残念ながら階段は樹木に占拠されており、上ることはできなかった。

畑の中にポツンと残っている信管検査観的壕跡。遠くから見るとちょっと大きな犬小屋くらいの大きさかと思った。

目の錯覚だったのか、自分らが急速に縮んだのか分からないが、近づいてみると思ったより大きかった。

屋根部分にコンクリの割れた跡があり、多数の鉄骨が見える。

中は倉庫というよりガラクタ置場で、広さは2畳ちょっとくらい?
外観は少々くたびれているが内側は結構綺麗だった。写真左側は西側に開いたスリットの窓。

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