屋島ケーブルカー跡 その2

入れない以上、ウロウロしてるのもまずいので再びケーブルカー駅へ向かう。

観光客もほとんど見かけない道だが、なぜかランニングに短パンのジョギング兄さんがいた。
まさか登山道を来たとは思えないし、あの格好で車に乗ってやってきたのだろうか。不思議に思ったが、実はそれほど気にかけたわけでもない。

標識にはケーブルカー駅への案内がまだ残っていた。

駐車場から15分くらい歩いてケーブルカー駅、「屋島山上駅」に到着。
道こそ閉鎖されていないが、完全に観光ルートから外れており、2件あった土産屋は共に廃業していた。


建築様式はよく分からないが、大正から昭和初期の建物によく見られる飾り心のある何ちゃって洋式建築。
ウィキペディアによると、建造は1929年(昭和4年)と今から80年以上前。ついでにウィキペディアを見ていたらこの年にアンネフランク出生。

素人考えではケーブルカーの再開はもう無理だし、かっこいいのでこの駅舎を観光資源にしてはどうかと思うのだが、恐らくそれくらいではどうにもならないところまで屋島の人気というのは落ちてる気がしないでもない。

前に来たのが2004年の3月、同年10月に休止となり、翌年8月に廃止になったとビバ・ウィキペディアにある。

廃止を知ってたら前来た時にもっと写真たくさん撮っておいたのだが。


旧土産屋さんには今でも人が住んでいるようで、ラジオかテレビの音が聞こえた。とりあえず中に入れないこともないようなのだが、そういった理由で外側からのみ撮影。柱や天井の造形がレトロで良い、更に廃止当時の雰囲気が充分残ってるのが更に良い。

正面向かって右側。
何のためにあったか分からない円形の屋根下には屋島の山上案内図。

ちょっと分かりにくいが、先程前を通った廃旅館「甚五郎」も現役で掲載されていた。

文化祭とかで高校生が描いた看板っぽいチープな造りも、ここでは何となくお似合い。

駅正面左手には新旧トイレが並ぶ。
新トイレはかなり新しく、廃止直前くらいに出来たのではないだろうか。

何にしても使う人はほとんどいないだろうが、水とか流れるんだろうか。若干大を催していたが、試すほどの勇気が自分には備わっていない。

こちらは旧トイレ内部。
エキセントリックな便器を期待したのだが、戸が釘で打ちつけられており、中を見ることができなかった。

駅正面から来た道を振り返って撮影。
前来た時はまばらながらも人もいたのだが、現在ではご覧の通りのゴーストタウン調。

土産屋その1。
あまり人が住んでる雰囲気ではなかったが、畑の様子などを見ると無人ではないようだ。

閉店しても土産はそのまま。
昭和枯れススキ調の春画灰皿はB級マニアに高く売れそうなのだが。

廃止から5年ほどしか経ってないので、壊れた自販機に見られる商品も感涙にむせぶほどのレベルではない。

せめてチェッカーズが宣伝してた「ジェット・ストリーム」とか「メローイエロー」、「砂漠の嵐」レベルは見たかった。

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