門司港駅 その1
1914年(大正3年)門司駅として開業。当時は関門橋や関門トンネルもまだ無く、門司駅は本州(下関)と九州を結ぶ連絡駅という性格を持っていた。周辺は貿易関係などの企業による大規模な建造物が数多く建造された。
1942年(昭和17年)関門トンネルの開通に伴い、駅名を門司港駅に変更、1964年(昭和39年)関門連絡航路が廃止された。1988年(昭和63年)に駅舎が重文指定を受けると、駅舎及び周辺の歴史的建造物をセットにして観光スポットとして整備、「門司港レトロ」として多くの観光客を集めるに至る。


H20年末の18切符旅で「九州鉄道記念館」見学を計画したがスケジュールの遅れで閉館時間に間に合わなかった。仕方がないので駅舎内や周辺をぶらぶら歩いてみたが他の観光施設もほとんど閉館してしまっており、中途半端な訪問となってしまった。ただ、ぶらぶら歩いただけだったが、それなりに見るものもありなかなか楽しかった。カップルで来ても楽しめると思うが、鉄道好きの方は九州鉄道記念館であまり時間をかけすぎて相方にあきれられないように。

重文指定されている唯一の駅舎。
ビル好きなので新しい高層ビルを見るのも好きなのだが、こうした重厚な建造物を見るのはもっと好きだ。
ついでだが自分は保守的なので左右対称も好きだ。


ちなみに平成21年4月から旧貨物線などを利用した「門司港レトロ観光線(九州鉄道記念館駅〜関門海峡めかり駅)」が開業する。休日を中心にトロッコが走るようだが、レポートのネタ以外ではあまり乗りたいとは思わない。

駅舎内。
戦前の古い部屋や施設をうまく転用して、レトロな感じを出しながらも現役の駅として不足のないサービスを提供している。
カメラが向けられず撮影できなかったが、駅員も門司港駅専用のレトロ制服を着ている。このあたりの芸が細かいのがJR九州。

みどりの窓口(旧1,2等待合室)。
旧字や古い書き方で書かれているため、ぱっと見た時の案内性は多少低くなる。それでも中途半端にルビがうたれてないのは好印象。


願わくば、入口横のパンフレットが…。と言ってもこれはさすがに難しいか。

しゃぶしゃぶ屋「紗舞館」(旧3等待合室)。
店内には古いポスターなどが飾られているらしいが、入ってないので分からない。

待合室(旧小荷物扱い所)。
中で写真を撮りまくるつもりで入ったが、数世帯のヤンキー家族が談笑していたので気配を消しつつ退却。

時刻表。
ご覧の通り、レトロ調になっている。こうした目に見えるところは非常に凝っているが後述する貴賓室などにもこの繊細さが欲しかった。

自動改札機もあるが、当時の人力改札も残されている。改札からホーム方面を撮影。

ホームの北側には関門連絡船の通路跡が残されている。説明板によると駅と100m先の連絡船の桟橋を結ぶ通路であった。

上の写真だと、「妙にセピア色だけど今でも桟橋と繋がってるじゃん」と思う人がいるかもしれないので斜めから撮影。
通路は板で封鎖されており、その板に写真が貼ってあるだけとなっている。

連絡船の説明板。
屋根があるからいいが、こうした煌き板は直射日光の下だとほとんど字が読めない。

通路跡に残る監視孔跡。以下説明板より。
『詳細は不明ですが、ここは戦争末期、軍の命令で設置された渡航者の監視所跡です。
門司港は、外国航路寄港地の為、関門連絡船の通路は、戦時下の不審者を監視する絶好の場所でした。
監視孔は反対側にもあり、内部が分かりにくい構造で、横に入り口を塞いだ跡があります。』


戦争遺跡でよく見る武骨なコンクリート建造物と華やかなレトロ施設が同居していているのは不思議な感じがする。

連絡通路跡近くに置かれてあった消防車。説明板も無いようで、元々駅に置かれていた消防車なのか、単にレトロな雰囲気で置かれているのか不明。

連絡通路近く、線路と平行に伸びる別の通路跡。こちらは説明板は無し。

ホーム側面にはかさ上げされる前の古いホーム跡を見ることができた。

こちらだと古いホームの高さが良く分かる。ちなみに0kポストの写真を撮り忘れた。

周辺をぶらぶら歩いていたらすっかり日が暮れてしまった。
背後の雲がマクー空間みたいだ。

何か意図があって撮った写真のはずだが思い出せない。35歳過ぎてからこの症状が顕著になってきた。

当時は窓口として使用されていたようだ。建物のあちこちで見られる往時の面影を探すのは宝探しのようで楽しい。

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