伊豆(下田・唐人お吉編) その3

アメリカ初代領事館の碑。建立者は渋沢栄一。日本に(つまり初代アメリカ領事館であったこの寺)初めて星条旗があがった日のハリスの日記の内容も刻まれている。

通訳ヒューストンはこの後、江戸で薩摩藩士に暗殺されている。

安政の大地震で下敷きになって死んだ水兵や病死したロシア人の墓。寺の山手に建てられているので少し分かりにくい。

慰霊碑。
これは私見であるが、下田を訪れたアメリカ人ペリー、ハリスは、日本に及ぼした影響、観光客に対する知名度共に大きく、現在でも彼らが前面に出ているのだが、ペリーが去った後条約締結に訪れたロシア人プチャーチンの方がどうも好意を持って下田の人達から見られているような気がする。


高圧的だったアメリカ人に対し、プチャーチンの方が友好的な交渉となったようだ。これはプチャーチン本人の人柄と、ロシア皇帝から紳士的に交渉にあたるよう指示されていたことにもよるらしい。
安政の大地震で乗艦ディアナ号が大破し、荷も流れ出している最中、プチャーチンは溺れている日本人の救済を優先した。その後、沈没したディアナ号にかわり、戸田村で建造されたヘタ号に乗って帰国。翌年、ヘタ号は綺麗に修復されて戸田村に返還されている。またプチャーチンは遺言で戸田村へ多額の寄贈を行うなど、日本人好みの「義理人情」に厚い男だったようだ。

ロシア人水兵の墓。
年号以外何も読めない。

山門下に建てられている「米国領事館」の碑。


ハリス資料館は撮影禁止であったため、レポートができないが、展示品数も多く、興味深く見学することができた。下田を訪れた際にはぜひとも見て欲しい史跡の一つ。

ハリス資料館を見学している最中、自動ドアが開いたので振り返ると誰もいない…。
一瞬ゾッとしたが足元を見ると一匹の猫。寺で飼われている猫のようだ。
しかし猫で反応する自動扉というのは初めて見た。この猫の為にセンサー感度を上げているのだろうか。

すこぶる人懐こく、撫でてやると肩の上に乗ってくる。完全に33歳ハート鷲掴み状態であったが、時間が無かったので泣く泣く降ろして見学再開。


資料館を出るとついてきた。もうメロメロ。

と思ったら、資料館を出ると勝手にあちこち散策しだす。こちらのハートを熱くしておいて釣れない奴だと憤慨しつつも、後を追いかける33歳独身男。

山門の柱で爪とぎ。
寺の猫とはいえ、いいのか?

まだ若い猫らしく、いろんなものにじゃれつく。多分虫にじゃれついている。

こちらでも何かにじゃれつく。

立ち上がってじゃれつく。
時間がないのに、こんな撮影を続けていていいのだろうかと自問自答。答えは「よろしい」とのことだった。

名残おしかったが退却。寺猫はお見送りをしてくれた。タマ・ミケ・トラ、どれを呼んでも返事するので名前はよく分からないままだった。「チャトラン」を試すのを忘れていたが、きっとこれにも返事をしたと思われるので意味無し。

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