木曽町日義(旧日義村) その3

地方にある寺の資料館というものは、見たければどうぞ的な所が多く、「暗い、暑い(寒い)、汚い」というイメージがあったが、ここは空調が効いていて快適だった。
寺の人の応対も非常に親切で良かった。

義仲館でも複製品を見た義仲像。こちらは本物か?絵の所有は一応この寺になっている。

樋口次郎兼光のものと伝わる冑。当然平安時代のもののはずだが、妙に後世チックな気がする…。

 


その他、色々展示物が並ぶ。結構古くて大事っぽいものに関しても何気に陳列してある。右の甲冑に至っては棚の下段にポツンと置かれてあった。

寺の掲示板に貼られていた教え。気が弱い自分はこの教えを守れないし、守ると長生きできそうにない。




少し離れたところにある義仲が兵を挙げる際、戦勝祈願を行ったとされる「旗揚八幡宮」。義仲が元服後に屋敷を築き、以仁王から平家討伐の令旨を受け取ったのもこの地であったとされている。
村のパンフレット等を見ると結構大きそうな感じを受けたが、実際にはかなり狭く小さい。

境内の大ケヤキ。樹齢は約800年、義仲達がいた時代からの生き残りということになる。落雷や風雨でボロボロになっていて、木のお医者さんの処置を受けたらしい。現在は枝一本に葉を茂らせている。


 説明版


本殿と大ケヤキ。
常駐の宮司さんはいなさそうだ。当然朱印ももらえそうもない。

旗揚八幡宮に建てられている碑と休憩所。怪しげなおばさんがクルクル回っていた。

旧中仙道を車で走っていたら見つけた、「中仙道中間地の碑」。

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