旧東海道 熱田編 その2

熱田神宮:
三種の神器の一つ、「草薙剣」が奉納されている東海地方最大の神社。6万坪の敷地は「熱田の杜」とも呼ばれ、名古屋の代表的観光スポットの一つとなっている。ちなみに初詣シーズンは周辺に車両規制がかかる。
正月は人がごったがえす。
ちなみに名古屋名物「ひつまぶし」で有名な蓬莱軒はこの近く。「うな丼のお茶づけ」と観光客はのたまうが、自分もこっそりそう思う。あまり食べた事がないので、こっそりとしか言えないのが残念。

境内の「佐久間燈篭」。御器所城の城主の四男、佐久間勝之が海上で台風に遭遇した際、守護を祈り無事だったので寄進した大燈篭。高さ8.25mと巨大な灯篭で結構珍しいものらしい。
自分を含め、存在を知らない人が多いと思われる。

名古屋市の市木である楠。この楠は弘法お手植えの樹齢1000年ものであるといわれている。

 


日本三大塀の一つとされている「信長塀」。信長が桶狭間の合戦の際、この宮に戦勝を祈願し、敵を打ち破る事ができたため寄進したもの。瓦を厚く積み重ね、石灰と土と油で固めたもの。
規模的にはそんなに大きなものではないが、知名度はなかなか高く、記念撮影してる人もちらほら見かけた。きっと信長ファンなのだろう。

拝殿。ちょうど結婚式の最中で、関係者一同が参っていた。ちなみに友人のぽっちゃり君もここで挙式を挙げた。

宝物館。国宝・重文指定の展示が数多くされている。館内は撮影禁止。ガードマンが多いので見学するのに妙に緊張した。


9:00〜16:30
最終水曜・木曜、年末年始休館
大人300円 子供150円

初恵比寿で賑わう境内にありながら人の姿を見ることがなかった清雪門。
日本書記では668年、新羅から渡ってきた僧である道行が神体である草薙剣を盗み出した際に当時北門であったこの門を通って脱出したとされている。

しかし道行は荒天にはばまれて海を渡ることができないまま捕われた。取り戻された草薙剣であったが、すぐ熱田には戻されず宮中に置かれたままとなった。
その後天皇が病にかかり、原因が草薙剣のたたりにあるとされたため、熱田に戻された。


道行が神体を盗み出した際に通過したこの門は不開門とされ、その後現在の位置に移された。また、その後宮中に置かれた剣が再び熱田から出されることがないよう不開門にしたともされる。

門の前の説明板。
「草薙剣が盗まれた」という旨を説明板に記載することはないのではないかと思っていたが、案の定すごくぼかした書き方になっている。
ただ熱田神宮の公式HPにはこの清雪門の説明で「盗まれた」云々の記載がある。

断夫山古墳:
熱田神宮から北西方面に歩いて10分の場所にある東海地方最大の前方後円墳。5〜6世紀くらいに作られたと見られ、全長151m、幅116m、高さ16.2mの規模を持つ。伝説では日本武尊の妃、宮簀姫の墓とされるが、実際にはこの地方で大きな勢力を持っていた尾張氏の墓とみられている。
近くには日本武尊陵墓の伝説を持つ白鳥古墳もあるが、こちらは一部破損している。純粋に古墳が見たいのであればこちらがお勧め。


尾張氏:
この尾張氏は天火明命を祖神とする一族。4〜5世紀頃、大和朝廷に海産物を献上してから従属しその後更に勢力を広げた。6世紀前半には尾張全体を支配し「草薙剣」をおさめたのもこの一族とされる。後に熱田大宮司となり威勢を保ち続けたが、尾張員職の娘が藤原季兼に嫁し、その子である季範が大宮司を継ぐと以後藤原氏によって世襲された。この季範の娘が源義朝の子を産む、後に鎌倉幕府をひらいた源頼朝である。
古墳周囲は堀で囲まれている。ただ、堀と言っても関西地方で多く見られるような水の張られた堀ではないので、近くまで寄れる。
写真は前円部から後円部方面を向いて撮影。古墳の形がなんとなく分かる。

前円部のカーブ。

立入禁止なので入るわけにはいかないが、カメラを望遠にして前円部を撮影。意識しなければただの丘、意識してしまえば廃マニアのハート鷲掴み。
埴輪も数多く出土している古墳なので、本当は掘ってみたい。今更何も出ないだろうけど。

一部柵が壊れている。不埒者が入ったようだ。しかし何故柵を壊す?

古墳の形が分かりやすいショット。

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