吉野ヶ里遺跡 その3

物見櫓上から眺めた東祭殿。夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ線上にあるとのこと。昔の人にとってはこれらを知ることはかなり重要な事だったのだろう。


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同じく物見櫓上から眺めた主祭殿、斉堂をはじめとする北内郭建造物。

甕棺墓列。歴代の王を葬った北墳丘墓に向かって約600mほどの墓が並んでいたということ。土饅頭が妙にリアルで不気味。
奥に見えている建造物と台形の丘はは祀堂と呼ばれる祈り用の施設と北墳丘墓。


 地図

復元された甕棺。いくつかの土饅頭の部分に発掘された様子が復元されている。右の甕棺は「合わせ口甕棺」と呼ばれる二つの甕棺を合わせて遺体を入れたもの。


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祀堂と北墳丘墓。


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右手の柱は立柱と呼ばれる霊が宿るという柱。奥の墳丘墓からは14基の甕棺と銅剣等が発掘された。今後は内部に入れるように整備されていくとのことだった。


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北墳丘墓から墓道、高床倉庫を経て北内郭を臨む。

高床倉庫内部。


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供物倉。供え物を保管しておくための倉。

中のムラと呼ばれる供え物を作る産業地帯(!?)。お酒は女の人が米を口に含み、噛んで唾液と混ぜ、それを壷に戻して自然発酵したものを飲んでいたらしい…。さすがにちょっとおぞましい…。


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環濠。幅2.5〜3m、深さは約2mほど。形はV字型か逆台形型。


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南内郭に戻る。この公園のまわりにはあまり民家がないので、遺跡在りし頃をイメージしやすい。
また今回は寄らなかったがディスクゴルフ場や勾玉・土笛作りの体験工房もあり、家族で一日楽しむ事ができる。

整備中の倉と市。この地方では取れない貝やヒスイ等が発掘されており、遠く離れた地域との貿易の場と考えられている。

同じく整備中の倉と市。現在も整備が引き続き行われており、一度訪れた人も再度訪れれば又新しい発見もあるかもしれない。

田手川。当時はもっと大きな川であり、貿易を行う際には運河の役割を果たしていた。

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