吉野ヶ里遺跡 その1
(佐賀県神埼郡三田川町大字田手1843 2003/12)
(0952)55-9333
9:00〜16:30(12〜2月)、17:00(3月〜6月、9月〜11月)、18:00(7月〜8月)、
休館日 12月31日、1月1日、1月第三月曜日と翌日
大人400円 小中学生80円  各団体料金等有
駐車料金 普通車300円

正式には「吉野ヶ里歴史公園」。弥生時代の遺跡としては全国で三箇所しかない「特別史跡」の一つ。(他は長崎・原の辻遺跡と静岡・登呂遺跡)
昭和61年から発掘が始まり、平成元年にはこれまでにない大規模な環濠集落という調査結果が発表された。この発表により、数多くの見学客が殺到するという大騒ぎになった。自分が訪れた日も年内最終開館日、12月30日という年の暮れも押し迫った日であったが、いまだ多数の見学者が訪れていた。
この佐賀県というのは佐賀藩であった昔から、かなり教育に対して熱心であったらしく、以前名護屋城に訪れた際にもそれを体感する事はできた。この吉野ヶ里遺跡も自分が訪れた他のどの遺跡よりもしっかりとした整備と分かりやすい説明がされており、「遺跡」という何かほのぐらい雰囲気を感じる事はなかった。


定説がはっきりしないまま大和説、九州説が分かれる邪馬台国であるが、魏志倭人伝の記述と一致する部分も多い。

何が一番驚いたと言えば、この「歴史公園センター」。つまり入口にあたるところであるが、トイレは当然、レストラン、売店、ガイダンスルーム、多目的ホール、ミニシアター、はては授乳室まで整備されている。


ここからの景色だと何やらちょっとしたテーマパークのように見える。


 園内地図

歴史公園センター内。左に見えるのが受付。右側にはガイダンスルーム、つまり説明パネル等が展示されている部屋がある。

ミニシアター。吉野ヶ里遺跡について約12分の上映が随時行われている。丁寧ではあるが詳細な内容で、実際に見学に入る前にはぜひ見ておくことをお勧めしたい。

写真が暗くなってしまい分かりにくいが、ガイダンスルーム内部。写真や図を豊富に使った分かりやすい展示が好印象だった。

センターを出て田手川を渡り、いざ見学。向こうには弥生時代の復元遺跡とは思えない大きな建物が見えてきて期待度がかなり増す。


 地図




「建物等の復元整備について」という説明板の一部抜粋写真。城等をめぐっていると、実際とは全く関係のない建物がいかにも史実にもとついだように建てられている事が数多くあるが、この姿勢を見習ってもらいたいもんだ。
名護屋城の説明板でも思ったのだが、史実と推測をしっかり使い分けていて非常に好印象だった。

環濠入口。復元された土塁と堀と逆茂木を見ることができる。
実際に遺構の上に盛り土をかぶせた上に復元を行っている。元の遺構を保護する為の手段。

逆茂木。先を尖らせた杭を外側に向けてバリケードの役割を果たす。説明板によると愛知県にもこれに似た乱杭を持つ遺跡(朝日遺跡)があるようなので、こちらも近いうちに訪れてみたいと思う。


 説明板

南内郭の土塁。「土塁に乗らないで下さい」という看板があるのだが、子供が乗って遊んでいたが親は微笑んで見守るのみ…。哀しいけどこれ現実なのよね。


 説明板1
 説明板2

南内郭の近くにある展示室。なんとなくプレハブっぽい建物で、あまり期待せずに入ったが行きと帰りで二回入ってしまったほど興味深い展示がされていた。


中では佐賀県教育委員会が編集した冊子が発売されている(一応寄付という名目で)。500円となかなかリーズナブル。

甕棺(棺桶)や貝で作られた腕輪、木製品等が展示されている。
興味深かったのは、この吉野ヶ里に住んでいた男子成人の平均身長が163cmと他の地域に比べて約10cmも高かったこと。これは北部九州ということで渡来系が多かったことによるらしい。ちなみに自分の身長は自称165cm。

弥生度テスト、自分は酒が飲めないという事以外はほとんど「縄文タイプ」。
 弥生度テスト

残念ながら写真のパネルのみの展示となっている、「首なし人骨」。首が無いのはご覧の通りだが、肩と腕にも骨まで達する傷が残っているらしい。集団化していく上での戦いによる犠牲者。


 説明板

見た瞬間ちびってしまうくらいびっくりした「復元首なし遺体」。おばさんや子供にも声を出してびっくりしている人達がちょこちょこ見られた。男子成人でびくっとしたのは自分だけかもしれない…。
ちなみに腕と肩の傷もあるのかなと観察したが、服に隠れて分からなかった。そこまでしっかり作りこまれているとしたら大感動。一度質問してみようと思うので返事があったら掲載予定。


→お返事ありました!

南内郭内部。リーダー層の人々が住んでいたと見られる区画。周りを堀と土塁で囲まれている上に物見櫓の存在も確認されている。現在二つの物見櫓と四つの竪穴式住居が復元されているが、近々10を越える住居が復元されるらしい。


 パノラマ

復元された物見櫓。濠の突出した部分に見つかった六本の大型柱跡から物見櫓があったと考えられている。現在確認されている遺跡の中で突出部分に物見櫓が築かれているのは吉野ヶ里遺跡のみ。

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