港区防災センター その4

防災教室。昭和34年当時の小学校の教室が再現されている。その名も「港町小学校」。

本来は防災に関する資料展示や学習会に使用されるとのことであったが、この日は何もないので単に教室の再現だけということになる。

ほとんどの備品はオリジナル。右端のオルガンもちゃんと音がなる。防災に関する学習会が行われるとあったが、この小さい机とイスでできるのだろうか?

7年前訪問した時には見られなかった防災グッズの展示が追加されているが、これのせいで教室っぽく無くなってしまった。

同じく7年前は当時の教科書が置かれていたが、現在はコピーしたものであり、紐で持ち出せないようになっている。当然と言えば当然の処置なのだが、焦点が少しぼやけた感じがする。

こちら7年前の写真。

当時のコメントは
机の上には当時の教科書が置かれている。そういえば自分も小学校2年生まではこのような木目が浮き出た机を使っていた。暇な時にはプリントを机の上に置き鉛筆でこすって木目を写していた。何が楽しかったのか今考えると全く分からないが。

仕方ないけど少々寂しいね。

大人が座るとアンバランスな椅子も子供が座ると実に様になる。
こちらは長女ハル。B型らしく、常に常時全開な兄と違って実にマイペース。

教室内に展示されている防災グッズ(非常食)。
この展示方法になってからも結構経っているらしく、箱の大半が変色していた。

黒板も自由な書き込みはできなくなっており、何やら物語の紙が貼られていた。

「東海大地震を知っておこう」、「防災家族会議を開こう」の二本立てミニシアター。
なぜ「コウメイパン」の設定なのか不明。

消化シュミレーション体験。
体験したい人は係員まで声をかけるのだが、昔、廃バスに積まれていた消火器をよく噴出して遊んでいたので無理に体験することはないと声はかけなかった。

伊勢湾台風に関する写真展示。
昔、伊勢湾台風に興味を持っていて、体験した人に色々聞いた時期があった。皆、死体がプカプカ浮いていたということが印象深かったらしく、口をそろえてその壮絶さを語っていた。

伊勢湾台風被害状況図。
昭和34年ということで、緑区や守山区が編入されていない。

伊勢湾台風の被害のあり方について説明した展示パネル。
風もすごかったのだが、何と言っても最大の被害原因は高潮、当時の話を何人かに聞いたことがあるのだが、それはそれはすごいものだったらしい。

当時の被害写真と現在の写真。何箇所か展示されていた。

防災グッズ、簡易トイレ。

使用中の写真。
実にスマートに排便する男性だ。

防災センター南に架けられている「平和橋」。
昭和12年に開催された「名古屋汎太平洋平和博覧会」の唯一の遺構。

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