徳山村 その1
(揖斐川町【旧徳山村】  2003/10他)

岐阜県の有名な廃村。
ダム計画の為に昭和62年村民全員が立ち退き。隣村の藤橋村に併合された(現在は藤橋村自体が揖斐川町に併合されている)。初めて訪れたのは平成10年、前日に藤橋村(当時)のおばあさんにひょんな事から宿をお借りした上に色々お話を伺う事ができた。翌日訪れた徳山村小学校は保存状態もよく、廃墟好きの自分は感激ひとしおだった。

記念すべきunderZero観光レポートの第一段「徳山村」に四回目訪問時を中心とした写真を大幅に追加して再レポート。


4回目の訪問前にプチ登山した、岐阜と福井の県境にある冠山。なかなかきつい山だった。
まぁ、今まできつくなかった山などないのだが。


県境の冠峠に建てられている自己主張の強い看板。
最近は自己主張がしっかりできないと片身の狭い思いをすることしばしば。自分のように気が弱い人間にとって住みにくい社会になったものだ。

冠山峠に建つ大きな碑と奥にそびえる冠山。逆光で何が何だか分からない写真だが、雰囲気だけはいいので自己満足用に掲載。

美濃国(岐阜)側には二つの碑が建っていて、一つは「藤橋村」、もうひとつは「徳山村」。
当時の「藤橋村」と共に、ダムに沈む「徳山村」への敬意から両村の碑が建てられている。


村役場跡の観光客用(?)駐車場にあった旧徳山村を紹介する地図。
中央やや右に「仁田由定の墓」というものがあるが、これは北陸で戦死した新田義貞がここまで来て死んだという伝説によるものらしい。

この徳山村、最初に訪れたのは平成10年。当初は該当区域に入るには住所・氏名を記載する必要があったのだが、なぜかフリーパスの通行証がもらえた。大事にとっておくつもりだったのだが、整理整頓ができない性分のため知らない間に無くしてしまった。

徳山村の説明板。

最初に行った時に泊めてもらった旧藤橋村のお婆さん&息子によると、立ち退き料は一軒あたり数千万円とのこと。
これを元手に商売を始めた人もいるが大半失敗したと聞いた。

あくまでも風聞なのでどこまで事実か分からないが。

白山神社跡と火の見櫓。
当然ながら廃村前に神社は移転されており、石柱と説明板でしかその存在を知ることはできなかった。

さらにここから登ったところに徳山城跡があったのだが、ヤブが深くとても登れる状態ではなかったので断念。

神社入口横の説明板。
こうした説明板を今読み返してみると、多少無理してでも登っておけばよかったとつくづく後悔。

地図の「現在地」より若干下に「ふるさと碑」というものがあるが、徳山村を題材とした「ふるさと」という映画製作を記念してつくられた碑。

映画「ふるさと」については→Wiki


以下説明板に掲載されていた徳山村の8つの集落の航空写真。
まずは徳山村の中心集落であった本郷。このレポートで紹介している小学校があったのもこの集落。


行ったはずなのだがほとんど記憶に残っていない。
近くに本郷があるので、そちらに興味が行ってしまった…んだろうな。


本郷から揖斐川を渡った所にあった上開田。
写真中央に見えるのは徳山中学校で、体育館や寮も見える。最初に行った時は体育館+αの建造物は残っており、工事関係(?)の事務所として再利用されていたようだった。


こちらも国道から揖斐川を渡ったところにある集落。
既に建造物は残っていなかったが、他の集落と比較して一軒辺りの敷地も広く、家屋の基礎も立派なものが多いように感じた。また、神社(寺だったかも)と認識できる遺構が残っているも印象的だった。


かすかに建造物の痕跡が残っていただけの櫨原。あまり記憶に残っていない。


家の基礎や道路の跡がかすかに残っていただけの塚。国道沿いに白い三角屋根の倉庫とも小屋とも言いかねる建造物が残っていた。


残念ながら行くことがなかった戸入。昔は大きな集落だったらしい。


標高が高いため水没しない門入。
協力会社の社長の奥さんがこの集落出身とのこと。「門入は戸入より都会だ!」と高らかに宣言していたが、写真を見る限り五十歩百歩。

峠越えの徒歩2時間コースらしいが、水没した徳山村で唯一訪れることができる集落。何はともあれ必ず訪問したいと思っている。

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