掛川城 その3

天守曲輪東の腰曲輪。
往時は二重櫓等が建てられていたが、廃城後に十露盤堀の埋め立ての為に大きく削られてしまった。現在は通路のような狭さになっているが、とりあえず塀など建てて体裁を整えている。

腰曲輪から天守を仰ぐ。

天守曲輪東側の昭和期に修繕された石垣。
建造物の復元もいいが、こうした目立つ所の石垣くらいはちゃんと積み直すべきだったのではないか。

腰曲輪から二ノ丸へ。
塀の内側が腰曲輪。

二ノ丸から天守を撮影。
個人的には天守が一番かっこよく見える角度。いい加減な石垣もここからならあまり見えないし。

ニノ丸御殿内部。
残念ながら外観を撮影し忘れた。

御殿の天井に彫られた太田家の桔梗と違いかぶら矢の紋。

掛川城主要部のジオラマ。
天守復元前に作成されたとはいえ、建てられた天守と明らかに違う外観。
こちらの方が幕末の状態に近い。

有名な信長が作らせた薄濃。もちろん現存しないので偽物なのだが、なぜ掛川城で展示されているのか不明。


見るに(朝倉)義景と(浅井)長政の頭蓋骨の型は同じ物を使ってるようだ。角度が違うので比較しにくいが恐らく(浅井)久政も同様。
違う型で作るくらいのマニアックな細かさが欲しいところ。

当時の立体地図に現代の地図を重ね合わせたもので、個人的にはすごく好きな展示方法。
城域が狭くなってしまっている現代の城がかつてどれほどの範囲で広がっていたのか一目了然。

太鼓。
太鼓櫓に置かれていたものらしい。軽く叩かせてもらえる。

復元(?)された四足門。
説明板によると跡自体は発見されなかったが、正保城絵図に載っていたので建てられたようだ。

屋外のジオラマ。
ガラスケースに入ってないので写真は撮りやすい。屋外用に陶器で作られている。

形状がソロバンの箱に似ているためにその名がついたとされる十露盤堀。


本来は空堀となっている部分を含めて本丸の東から北側部分を囲っていたが維新後に埋め立てられた。現在は一部分のみ残る。

説明板に載っていた発掘調査時の十露盤堀の写真。

三日月堀の説明板写真。
「本丸門の前面に配置された三日月状の堀です。深さは8mありました。調査では、堀の南側から石垣が見つかりました。その下からは、柱穴が並んで見つかりました。」


写真左下部分の黒丸が柱穴跡。

現在の三日月堀。
写真左側が南側、説明板にある通り、石垣状に整備されている。

あると非常に嬉しい発掘調査についての説明板。発掘調査時の写真も載っている。

説明板に載っていた「登城路の玉石階段と玉石側溝」の写真。

説明板に載っていた「三日月堀と内堀を結ぶ暗渠」の写真。

説明板に載っていた「三日月堀・十露盤堀・内堀」の写真。


写真下側が南。

ピョンちゃんとサトちゃん。
ライバル会社同士ながら仲良く並ぶ。これでケロちゃんが居れば完璧なのだが。

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