掛川城 その1

天守と同じく木造による再建が行われた大手門。ただし位置は実際とは異なる。
門の奥に見えるのは大手門番所。


本来の大手門も現存しており、袋井市の油山寺に山門として移築されている。

大手門礎石根固め石。
説明板によると、直径2m深さ1.5mの穴に40cm前後の石を積み重ね、その上に礎石を置いていたとのこと。この基礎が12個あり、そのうちの一つが展示されている。
巨大な大手門が傾かないための工夫。

大手門を入ったところにある大手門番所。維新後は元静岡藩士に譲渡・移築され住居となっていた。昭和53年に市へ寄贈され現在の図書館近くに移築、その後大手門復元に際して現在の位置に以築された。

大手門内側の二階へ上がるための階段。残念ながら立入禁止。

旧本丸門跡。
当時は櫓門が建てられていたが、現在は石垣のみ。奥が本丸となる。


城の復元作業の重要資料となった正保絵図による掛川城主要部復元図。
シンプルで分かりやすい。

本丸門をくぐってすぐの天守入城チケット売場&トイレ。
奥に見えるのは現存の太鼓櫓。

天守方面から撮影した太鼓櫓。
安永の大地震で崩壊した後に再建されたもの。昭和30年に三ノ丸南東隅から現在の場所に以築された。


上の主要部復元図では「荒和布櫓」のあった位置にあたり、本丸門横の石垣上に建っている。

本丸から天守を臨む。
平成6年、資料に基づいて木造復元された天守。絵図や文書の資料だけでなく、山内一豊が掛川城を模して建造した高知城も参考にしたとされる。

一豊が築いた時代の天守を資料に基づいて木造復元したということで有名になった。
しかし幕末時には地震による大破や改修で一豊時代の天守とは外観もかなり変わっていた。
復元といっても決して精密ではない絵図や資料からの推測の部分も多く、完全に復元された天守とは言い難い。

現在本丸の一部はご覧の通り花壇として整備されている。
ビジュアル的には綺麗なのだが、本格復元を目指した城としてこの整備のされ方は少々ちぐはぐさを感じる。

本丸の説明板。
「城の主要部で、藩主の住まいである本丸御殿がありました。調査では、建物跡はわかりませんでしたが、柱穴や礎石は見つかりました。城がつくられる以前は、墓地であったことがわかりました。」

天守曲輪入口。
往時あった天守下門も現在は冠木門のみと簡素になっている。
重要な曲輪の門が冠木門で復元というのはいただけない。いっそ無い方がいいと思う。

天守曲輪から天守を臨む。
再建されて10年以上経つが、まだまだ貫禄充分とは言えない。

控柱を持つ本丸曲輪の塀。
正確な再現かどうか分からないが、なぜかちゃっちく見える。

霧吹き井戸。
掛川城が徳川家康の攻撃を受けた際、この井戸から霧が出て城を守ったとの伝説がある。結局開城するのだが。


深さは46m、かなり深い。

天守説明板。
石垣の補強もしっかり描かれてある。

積み直された石垣。
横の筋が通った野面布積であるが、打込ハギっぽくも見える部分もあり。
登り口のある南面はともかくとして、昭和期に改修を受けた北面はひどい有様。

とても痛そうな忍び返しも完備。
高知城にも同じような忍び返しがあるので、それを模したものと思われる。
こちら高知城の忍び返し。

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