内海サンドスキー場跡 その3

資料や聞き込みを元に実際にスキー場跡を探索した。

国道247号線を内海から北上したところに、当時サンドスキー場への入口となった分岐が残っている。

若干の民家を抜けると、道は右へカーブして通行止となる。左は旧内海高校グラウンド。
この付近の左手が貸スキー場・売店、右手が児童遊技場のコンクリート舗装広場だったと思われる。

この先は観光ホテル魚友の敷地で立入禁止。現在ホテルは海沿いに移転しているが、建造物はそのままになっている。

右手に若干の削平地がある。土が載っているだけかもしれないがコンクリート舗装ではなかった。古い手押しポンプがあったが、往時のものかどうか不明。

少し道を登ると、魚友の旧建造物に行き当たる。セキュリティ装置などがあるとやっかいなので、ここまでしか登らなかった。
聞いた話だとこのあたりからゲレンデへ上がっていたようだ。

入口・売店付近の探索を終えて、ゲレンデ跡を散策。
南知多町図書館裏手から道なき藪を強引に登った。目標はスキー神社に関する何等かの痕跡を探すこと。

4月下旬ということで草木も伸び、全く道らしきものは見当たらない。登り口に戻れるか不安を感じつつも登坂を続ける。

しばらくすると尾根に到着。山は桂砂採取でかなり痩せてしまっているらしく、スロープらしき雰囲気は全く見てとれない。

それでも足元を見ると、山っぽくない細かい砂。腐っても元サンドスキー場、砂の上の落葉は非常に良く滑り、傾斜が急なところだと全然前に進めない。

最高地点だと思われる場所。正直祠や鳥居などが見つかるとは期待していなかったのだが、削平地すら見当たらない。やはり砂採取の際に削り取られてしまったのだろうか。

木々の間から下界が見えた。このあたりもスロープがあったと思われるのだが、その痕跡はない。

さらに進むと木々のトンネルの間に道らしきものを発見。

幅が狭すぎるので、7つのスロープ跡ではないようだ。聞いた話だと、山の奥手に幅の狭い林間コースがあったとのことなので、おそらくその痕跡だと思われる。
何にしても山の中で見られた唯一の遺構らしきもの。

数十m降りると竹やぶで行き止まり。最初は地元の人が利用している道かと思ったが、行き止まりではそうも考えにくい。なぜこれだけ道の形態を保持できているかが不思議だった。

下まで降りたのは良いが、登るのが非常にやっかい、凍結した道を登るのに似ている。

最高地点まで戻ると、元来た道とは別に獣道らしきものがあったのでそちらで下る。
しばらく下ると削平地とコンクリートの痕跡を発見。

石畳チックな加工がしてある。
面積からスキー神社かとも思ったが、コンクリートが新しすぎるので、資料や聞き込みに出てきたバンガロー村の痕跡だと思われる。

丸太を使って、階段状にしてある所もあった。

結構しっかりとしたコンクリートの土台。これ以外にもたくさんコンクリートの基礎が見られた。
弁当のガラなどが人が入った形跡が濃くなる。どうやらこの道で降りることができそうだ。

不法投棄されたゴミの山。注射針とか入ってるとまずいので、手を出さなかった。このあとすぐ国道247号線に降りることができた。

247号線から見上げた元スキー場。林間コースらしき傾斜以外、なんの痕跡も見つけることができなかったが、Googleの航空写真などを見ると、それらしき地形を見ることができる。次回散策時はそのあたりを事前に準備してから探索したい。

古い資料や聞き込みによると、この辺りに中日バンガロー村があったらしいのだが、南知多町の観光協会に問い合わせると、そんな場所にバンガロー村があったとは聞いたこともないとけんもほろろの返答。
(町に直接聞いたところこのような返答であったが、社会教育課からは中日バンガロー村があったとのこと)
ではあのコンクリート群は何だったのか?とてもスキー場時代の遺構だとは思えないのだが。

前頁 マイナーヒストリートップ
観光トップ