内海サンドスキー場跡 その2

北海道にお住まいのFAT'Nさんから幼い頃に訪れたサンドスキー場の情報をいただいた。

・昭和40年代に訪れた。サンドスキーの看板はまだ残っていた。
・海岸脇の道路から20mほど入ったところ、ちょうどVの字型に幅がそんなに広くない急斜面で2スロープ存在していた?
 子供心の急斜面なので本当はそんなに急ではなかったのかも。
・成人し、車を購入した後も、スロープだけは1本残っていた気がする。サンドスキーの看板はもうなかった。


半田にお住まいの球爺さんから、昭和40年代初頭(昭和42〜43年頃?)に撮影した内海のサンドスキー場の写真と情報をお寄せいただいた。

・場所は知多麦酒の駐車場あたり?
 昔の内海を知っている人はもう少し北側、中日バンガロー村(小野浦)付近ではないかとのこと。
 (南知多町の社会教育課からの「最後のスロープ跡に中日バンガロー村ができた」という情報と合致する)
・知多麦種を経営する会社の先代社長は砂採取の仕事を行っている。サンドスキー場にも多く関係しているのではないか。
・7つ年上のスキー仲間から聞いた話で、「ここにリフトをかけろよ」とアドバイスしたとのこと。いつ誰にかは不明。


名古屋にお住まいの林さんから、戦後のスキー場や砂の採取について情報をいただいた。林さんはなんとスキー場の事業計画を大蔵大臣に提出した地区総代の一人、林勘兵衛氏(1ページ目の解説にも出てくる)のお孫さんにあたる方で、お父さんは戦前のサンドスキー大会の優勝者という、サンドスキー場にとても縁が深い方である。また、今回は何とお父君のトロフィーの写真ばかりでなく、現物(!!)もいただいた。USS(内海・サンド・スキー場)コレクターの自分としては、最上級レベルのレアな逸品が手に入ってしまった!

・トロフィーには「 内海サンドスキー倶楽部」の記載があり、そうした倶楽部が存在していたということである。
・昭和40年頃まで、白浜スロープと思われるスロープでそり遊びをしていた。それ以降はほとんどスキーをする人を見なかった。
 その頃にはゲレンデも既にかなり荒れていた。
・戦後も砂の採取は続けられており、砂山のある吹越地区の収入になり地区の必要な出費に使われていたらしい。地区の住民が当番で、トラックで運搬する砂の量を確認し、ノートにつけていた。(林さんも幼少の頃、母親に連れられて現場に行ったことがあるとのこと)
・実地検分で見た林間コース(?)は、当時のコースのどれかに当たるのではないか。或いは、砂採取後に地形が変わっ て、少し場所がずれているかもしれない。
・バンガロー村は白浜スロープの現在の国道沿いにあったと思う。


(これまでいただいた情報とあわせて、昭和40年代、最後まで残ったスロープは白浜スロープというのは間違いなさそうだ。バンガロー村については、場所的には白浜スロープ付近と考えて矛盾はないが、「昭和29年、最後のスロープ跡につくられた」との記載を考えると、白浜の一部、もしくは隣接する千鳥スロープ跡につくられた可能性が高い?)


球爺さんからお借りした昭和42〜43年頃の写真
海岸線から近く、すぐ脇を国道247号線が通っている。
戦前と地形が変わっている可能性はあるが、海に対して斜めにスロープがあるので、そのまま考えると白浜、千鳥スロープか?

上の写真と近い場所から撮影。
スロープの終点から20〜30mほどで国道となっている。
FAT'Nさんの「海岸脇の道路から20mほど入ったところ」という話にも合致する。

更に写っているスロープだけでなく、写真右手にもう一本スロープがあれば「ちょうどVの字型に幅がそんなに広くない急斜面で2スロープ存在していた」とも合致する。


こちらもほぼ同位置から撮影したと思われる。左側の尾根はそこそこ大きなものだったようだ。


上の写真のスロープを反対側から撮影したと思われる写真。国道は写真右下手前?写真左側は桂砂を採取したと思われる削れが見られる。(写真にカーソルをあてると説明文表示)

上の写真は右端のスロープを上から撮影している。2枚下に写真中央のスロープを滑っている写真がある。それ以外に何となく滑ることができそうなスロープが1本あるが、写真が残っていないので推測の域を出ない。

とりあえず何とかV字型と言えないでもないスロープが2本以上ある。地形が変わっていないとすれば「吹越・千鳥」スロープとなるが、大きく山が削れているので断定はできない。

右端のスロープを滑っている写真。
千鳥スロープは135mあったとされるが、この写真ではそこまでの距離は無さそう。ただし幅の狭い木々の間を縫ってくるとすればあるかも。

採取跡と思われるえぐれすぐ脇を滑るスキーヤー。
この地点も戦前と比較して地形が変わっていると思われるので、本来のスロープでは無さそう。


最初見た時は片足を上げて滑っていると思ったのだが、左足のスキー先を見るとどうも引っかかっているような…。
この後、きっと痛い転び方をした…のだろうなぁ。


トロフィー写真
林さんから送付いただいたサンドスキー大会トロフィーの写真。
林さんの亡くなったお父さんが生前、サンドスキー大会で優勝したと話しておられ、近年その優勝カップが見つかったもの。

トロフィーが入った箱。
近年、簡易な箱になっているトロフィーの箱だが、さすが戦前だけあってしっかりした立派な造りとなっている。
そして、箱の裏にはなぜか、父上の弟(林さんの叔父上)である「林 峯保」さんの記名がある。ただ、叔父上は当時5歳である上、生前父上が林さんにサンドスキーで優勝したことがあると語っているため、叔父上が優勝者ではないはずとのこと。
とにかく、謎のようだ。


1933年(昭和8年)、林さんのお父さんである、林 宏氏がサンドスキー大会で優勝してもらったトロフィー。
宏氏は当時12歳だったので、少年の部があったのかもしれないとのことだった。



溶接がとれてしまっているので、首の部分だけで撮影。表面には「優」の文字。



裏面には「内海サンドスキー倶楽部」と、開催年である昭和8年の文字。
戦前は右から左に文字を読むもんだと思っていたけど、左から読む場合もあるんだね。


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