第15師団司令部跡(愛知大学) その2

二階の見学が終わり、再び一階へ。
各部屋にはこのような七福神の名前が書かれた看板が釣られていた。

大学の歴史が展示してある部屋へ。
愛知大学の歴史より、前身ともいえる東亜同文書院関係の資料が多い。


正直あまり真剣に見ていなかった。案内のおばさんもそのような客ばかり相手にしているようで、資料と異なる説明をしていた。
揚げ足を取るのが得意な二人、ほくそえむ。

古き良き時代の愛大生を描いた図。
宮下あきらですら描けないであろう、強烈なインパクトを与える絵であった。

こんな格好をした男達が並んで授業を受けていたらしい。

大好きなジオラマ。
昭和30年代の大学構内を再現している。右側に見えるコの字型の建物が師団司令部、つまりこの建物。
また、中央の並木道から左側が明治期、歩兵60連隊の敷地だった所。

左手奥に見える建物も元は軍関係の建物で現存している。

旧司令部アップ。左手の小さな建物は現存しない。

よく分からない織機展示。
他の部屋では用いられていない元々の照明部分がこの部屋では用いられている。


筆皇顔負けの見事な公式ポージングを見せている人は今回の見学会の参加者。なかなかの強者だ。

何に使われていたか不明だが、師団当時の建造物。現在は倉庫として使用か?

鬼瓦には陸軍の星マーク。

偕行社。
現在は使用されていないご様子。中に入ることはできなかった。
ちなみに偕行社(かいこうしゃ)をyahooの辞書で検索すると以下の通りとなっている。


明治10年(一八七七)に創立された、陸軍将校の親睦(しんぼく)および学術研究を目的とする団体。第二次大戦後に解散したが、のち親睦団体として復活。

入口前の車寄せ(?)の屋根頂点の奇妙な瓦。マグマ大使のアンテナっぽい。

厩舎。
現在は馬術部が使用しているようで、馬が数頭見えた。部室は建物の奥にあるようだったが、あたりには厳しいスメルが立ち込めていた。

現在第二体育館として使用されている大講堂。見た目は古い小学校の校舎っぽい。
窓から中を見てみたが、普通の体育館っぽかった。

隣のグラウンドではゴルフ部が練習をしており、この大講堂跡にはゴルフの練習で使うプチ人工芝が干されていた。

馬術部が練習に使う馬場。
厩舎がすぐ隣なので、往時もそのように用いられた区画かもしれないが不明。

土曜だというのに結構学生の姿が見られた。古い建物の写真を撮りまくる平均√200歳オーバーの集団は彼らの目にどう写ったのか聞いてみたい。聞けないけど。

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