第15師団司令部跡(愛知大学) その1
(2006/4/15)

「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」が主催した「軍都豊橋 春の戦跡見学会」に筆皇と共に参加、第15師団司令部跡、榴弾砲陣地跡、トーチカ等を見学した。朝8:15に瀬戸市役所に集合、そこからマイクロバスで一路豊橋へ、現地では保存する会の伊藤さんによる説明もあり、見るだけではなかなか分からないことまで学ぶことができた。
ただし予想してはいたのだが、参加者の平均年齢は自分の父親レベル。


第15師団は明治41年豊橋に追加設置された師団。この15師団の他、歩兵第60連隊、騎兵19連隊、野砲兵21連隊などが置かれた。またそれに伴い、付近には病院、監獄、憲兵隊本部なども置かれている。
大正14年に第15師団は廃止されたが、昭和2年陸軍教導学校が開設された。この教導学校は昭和14年陸軍予備士官学校となり終戦を迎える。
戦後、この一連の陸軍施設跡の多くは学校に転用されることとなった。今回見学に訪れた愛知大学もそのひとつ。

マイクロバスで豊橋へ。
まわりの人達が戦跡について語りあう中、最後尾の席に座った筆皇と自分は、ひたすらジョジョ話にふける。

豊橋から合流する参加者を待つ間、外でタバコを吸っていた。
バスに戻って、手に違和感を感じた筆皇、そっと開いてみると、休憩中に水切りに最適だと拾って遊んでいた石が。
無意識に握りしめたままバスに乗り込んでしまった筆皇、自分の老いを感じずにはいられない34歳の春だった。

最初の目的地は現在愛知大学豊橋キャンパスとなっている、「第15師団司令部跡」。
現在もその明治・昭和初期に築かれた建造物がいくつか残っている。


写真は最近まで大学本館として用いられていたという司令部跡。現在は大学記念館として、資料等が展示されている。

建物前の説明板。
個人ではなかなかこのような遺跡の見学はしにくい、こういう点でも参加して良かったと思う。
ただし、文中にある「兵営建築の手法」というものがどういうものかよく分からないままだった。

「山道も歩くので動きやすい格好で来てください。」と事前に言われていたにも関わらず、筆皇に伝えていなかった自分。
自然、まわりの人から浮いた存在になってしまうのは避けられない。

軍隊関連建造物で装飾が少ないとはいいながら、細かい部分に見られる装飾は明治時代の建造物らしさを持っていた。

入口をくぐる。

建物内に入ると目の前には階段。左右に廊下が伸びている。

照明具が吊り下げられていたであろう天井部分。

一階は主にこの大学の歴史、前身ともいえる東亜同文書院などについての展示コーナーとなっている。
殺風景な廊下ではあるが、古い建物らしい雰囲気は充分感じられる。

こういうドアのノブが大好きなので、見かけるとすぐ撮影。ただし後から見ると全部同じアングルのワンパターン。自分の芸の無さに毎回頭をかかえることしきり。

二階の元学長室。
愛知大学の第二代学長であり、名誉学長でもある本間さんの写真が飾られている。案内のおばさんに「宮地佑紀生に似てますね」と言おうとしたが、嫌な予感がしたのでやめておいた。

建物の中心線に置かれた学長席。
基本的にはシンメトリーなつくりが安定感をもたらす。

二階は元学長室とその隣の部屋以外は立入禁止。

二階から階段方面を撮影。後ろには元学長室。

学長室の隣の部屋。
撮影に夢中で、説明のおばさんの話を聞いていなかったので何の部屋だが不明。
とてもシンプルな部屋だった。

シンプルな部屋のシンプルなドア。

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