小学校時代、誰もが習う「ごんぎつね」の話、あらすじは忘れてしまっても題名はほとんどの人が覚えている。しかし「東の宮沢賢治、西の新美南吉」とまで言われる、その作者、「新美南吉」の知名度は作品に比べるとあまりに低い。
郷土を愛し、真実を愛し、庶民を愛し、たくみな心理描写やユーモア、そして根底に流れる哀しさをもった作品は優れたものばかりである。近年は「大人の童話」というものがちょっとしたブームになっている。少々読んだ事はあるが、正直な感想としては何か「狙ってるな」と思わせる作品もちょくちょく見かける。それならば南吉の童話はどうだろうか、半世紀以上前の童話ではあるが、これは子供達だけのものではない、現代の大人が読んでも充分楽しめ、また考えさせられる作品ばかりである。

新美南吉。母親の死、祖母との二人きりの生活、その感性と反比例した健康状態ゆえの挫折、ひとときの幸福、そして迫り来る病魔、その30年にも満たない人生の中で彼は多くの童話や詩を後世に残した。どこか物哀しい雰囲気を読者に与えながらも、その作品に溢れる優しさや愛情は、時を経た今でも新鮮で暖かい。
なにかと先行きが見えない昨今、たまには幼い日々に戻って、優しい気持ちになれる南吉の童話はいかがだろうか。
    



1…生家近辺 2・・・旧墓地 3…カガシヤ 4…雁宿公園 5…新美南吉記念館 6…南吉の墓 7…養家 8…半田池


【生家近辺】
A…生家 B…常夜灯 C…八幡社 D…はなれ跡 E…常福院 F…光蓮寺



南吉生家近辺


南吉は大正二年七月三十日にこの家で生を受けた。また数多くの作品を執筆した場所でもある。
道標もある街道に面して、父の畳屋と義母の下駄屋あった。
道に面している部分は実は二階で、裏手は二階建てとなっており、階段で一階に降りることができる。

後に借家となって人手に渡っていたが、南吉生誕40年の昭和58年に半田市が購入、復元修復を行ったあと、昭和62年から一般公開されている。

近くには南吉が幼い頃に草遊びをした常夜灯、寝泊りしていた「はなれ」、はなれとの近道に使った八幡社等があり、伊勢湾台風で倒壊してしまったはなれ以外は、古い街道と共にその雰囲気を今に残している。

光蓮寺…「ごんごろ鐘」・「百姓の足、坊さんの足」
常夜灯…「花を埋める」・「音ちゃんは豆を煮ていた」
八幡社…「ごんぎつね」・「狐」
等、近辺は多くの作品の舞台となっている。

(生家)
9:00〜17:00 年末年始以外無休
無料

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ででむし広場

南吉の生家近くにある小公園。その名の通りでんでんむしのモニュメントがある。名の由来は安城女学校時代に生徒の作品を掲載していた詩集にちなむ。
夏には100万本と言われる彼岸花が咲き誇る。

自分が行った時には小学生がカードゲームをしていた。なぜ外でカードゲームだろう。

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旧墓地

「ごんぎつね」でごんが六地蔵の陰から葬式を覗いた場所。
昭和8年までは岩滑地区の墓地であった。移地に際して六地蔵も南吉が眠る北谷墓地に移っている。
その後、岩滑コミュニティセンターとして「新美南吉資料室」を併設していたが、資料室は「新美南吉記念館」開館時に閉室された。
岩滑コミュニティセンターにも入ってみたが倉庫っぽい部屋や広間っぽい部屋があるばかり…、何に使うんだろ?この施設…?

階段に南吉が昭和12年日記に記した、「また今日も己を探す」の文字を刻んだプレートがはられている。

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カガシヤ


半田の銀座本町にある知多半島で一番古い喫茶店。南吉も何度か訪れており、弟とカガシヤに行った事等が日記に記されている。
現在の店長は故尾崎豊の従兄弟であり、南吉ファンと尾崎ファン両方に有名な喫茶店である。

8:00〜19:00 日曜定休
半田市銀座本町3-19
(0569)21-0982

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雁宿公園

昭和36年、南吉の歌碑が建てられている。

「かなしきときは
 貝殻鳴らそ
 二つ合わせて息吹をこめて。
 静かに鳴らそ、
 貝殻を。」

「誰もその音を
 きかずとも、
 風にかなしく消ゆるとも、
 せめてじぶんを
 あたためん

 静かに鳴らそ
 貝殻を」

歌碑には前半部分のみ刻まれている。

明治23年に陸海軍大演習が行われた際の明治天皇大本営跡の碑をはじめ、多くの碑が建てられている他、若干意味不明なモニュメントが多く見られ、ある意味芸術的というか不気味な雰囲気を漂わしていた。

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新美南吉記念館


南吉生誕80年、没後50年を記念して、平成6年、「ごんぎつね」の舞台でもある中山に建てられた記念館。
建設にあたっては、設計が応募され、新家良浩氏(株式会社新家良浩建築工房)による作品がその最優秀作品として採用された。
半地下ともいうべき設計で、良く言えば今風、悪く言えば南吉のイメージとかけ離れているとも言えるかもしれない。中もコンクリートが打ちっぱなしの現代的な感じだった。レストランとか普通の美術館としたら良いかもしれないが、南吉の暖かさはやはり伝わってこない。

それに対して、展示は、代表作がジオラマを使って非常に分かりやすく展示されていたり、南吉の生涯がパネルで詳しく記されたりしていて非常に良かったと思う。また、常設展の他にもちょこちょこ特別展示を行っていたりして力が入っており、さすがに半田の二大名物(南吉と山車)のひとつだと感心する。

ここに二回来て思う事がある。結構有名な城に行っても、展示物はさらっと流すだけの人が多いのに対し、この記念館では老若男女を問わず非常に熱心に見学している人が多いということである。展示の仕方が良いとも言えるし、南吉を知る人達にとってそれだけ南吉が慕われているのだとも言える。

9:30〜17:30 月・第二火曜(祝日の場合開館、翌日閉館)・年末年始閉館
大人210円 中学生以下無料
半田氏岩滑西町1-10-1
(0569)26-4888

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南吉の墓

昭和8年、半田町(当時)の四つの墓地を集めて作られた。
「ごんぎつね」に出てくる六地蔵も、岩滑の旧墓地からこの墓地に移されている。
南吉の墓はしばらくの間、実家近くにあったが、昭和35年、父多蔵がここに南吉の墓をたてた。その二ヶ月後、ひとりぼっちとなっていた父も他界する。

かなり広いので入口付近の案内板を見ないと探し出すのに時間がかかる。自分は案内板に気付かないまま、延々と墓地内を探し歩いたが見つからず、散歩に来ていたおばさんが探しあぐねて困っている自分を見て声をかけてくれた。
ちなみに捜し歩いてる最中、やはり、この地方には「榊原」という苗字が非常に多いのを再認識した。
そして、六地蔵の前に、骨壷らしき箱がおいてあったが、あれは何だったんだろうか・・・?

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南吉養家


南吉が八歳の時に養子に入った家で実母の実家でもある。南吉は祖母新美志も(実母の継母)の養子となり二人きりで過ごしたが、その生活はあまりにも寂しく、わずか四ヶ月で実家に戻ってしまっている。南吉は後に「暗くて不気味だった」と記しており、同じく記された「錠の錆びた倉(現在は展示室)」、「古色蒼然たる山桃の木」、「中が真っ暗な車井戸」も見ることができる。
ちなみに実家には戻ったが戸籍は養子のままなので、南吉はこれ以後死ぬまで「新美」姓のままである。

昭和36年に志もが亡くなり、空家であったが、昭和48年に神谷美術館館長の神谷幸之氏が購入、修復して一般公開をしている。日中は自由に見学できるが、倉を改造した展示室の見学は原則、前日までに神谷美術館への連絡が必要。
建造物としても古い形を残すもので、半田市の指定有形文化財に指定されている。
富農らしく厩まで持つ豪邸。夏の暑い日、畳の上で寝転がっていると気持ちよかった。

内部見学は事前に神谷美術館に連絡。
内部見学100円
半田市平和町7-60
(0569)29-2626 (神谷美術館)

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半田池

「おじいさんのランプ」のクライマックスシーン(?)に登場する農業用の溜池。戦前までは柳等が生い茂っていたようだが、今は普通の「溜池」。まわりにあまり民家もなく、いい雰囲気なだけに残念。
横を通る道は、同じく「おじいさんのランプ」で巳之助が岩滑から大野へ向かう際に通った「大野街道」。

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神谷美術館

南吉の養家の整備を行った神谷幸之氏による美術館。北川民治を中心に現代画家の作品を展示している。
館長幸之氏が南吉を知る人達から話を聞いて作った本(題名?全6冊各1500円)も発売されている。南吉を人柄をより知りたい人にお勧め。
ちょうど自分が行った時に幸之氏もみえて、色々説明してもらった。気さくな老人で、一通り作品を見た後、ビデオを見せてあげようと言われて見せてくれたが、氏が紹介されたテレビの録画だった。自分は気が小さいのでちゃんと最後まで見た…。
車で行くと分かりにくい上に狭い道が多いので注意が必要。
神谷氏は残念ながら平成16年11月に逝去された。とても優しい人であり非常に残念である。

神谷美術館
10:00〜16:00 年中無休
大人300円 小中学生100円
半田市有脇町10-8-9
(0569)29-2626

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