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南吉養家
南吉が八歳の時に養子に入った家。南吉は後に「暗くて不気味だった」と記しており、同じく記された「錠の錆びた倉(現在は展示室)」、「古色蒼然たる山桃の木」、「中が真っ暗な車井戸」も見ることができる。
昭和36年に志もが亡くなり、空家であったが、昭和48年に神谷美術館館長の神谷幸之氏が購入、修復して一般公開をしている。日中は自由に見学できるが、倉を改造した展示室の見学は原則、前日までに神谷美術館への連絡が必要。
見学は事前に神谷美術館に連絡。
内部見学は100円
半田市平和町7-60
(0569)29-2626 (神谷美術館) |
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入り口の説明版を見ないと、普通の旧家という感じの自然な雰囲気。建物は古く、半田市の指定有形文化財に指定されている。
二度ほど訪れたが二度とも他に訪問客はいなかった。南吉もこの養家には良い感情を持っておらず、わずか四ヶ月だけの生活であったため、マイナーな感じは否めないが、畳の上に座ってのんびりできるので自分は結構お気に入り。
H22年4月から内部閲覧が有料となって庭に竹垣ができてしまった。施設維持にかかる費用も分かるのだが非常に残念、残念すぎる。 |
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入口近くにある「墓碑銘」の詩碑。
「この石の上を過ぎる小鳥達よ、
しばしここに翼をやすめよ」
詩の冒頭部分が詩碑となっているのだが、もともとは人間社会にうまく馴染めず、小鳥になりたがっていた男の悲しみがうたっている。
詩碑にはないが、最終部分がお気に入り。
「彼はこの墓碑銘を
お前達の言葉で書けないことを
ややこしい人間の言葉でしか
書けないことを
返す返す残念に思ふ」 |
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縁側。最近はなかなか縁側のある家というのにお目にかかれないが、祖父宅に住んでいた時にはよく昼寝をしたものだった。 |
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ごちゃごちゃした展示がないので、少しガランとしているが、田舎の家に帰省したような雰囲気をかもしだしている。
大きな家なので夏でも涼しく、畳の上に転がっていると眠ってしまいそうだ。
ただ、この大きな家で血の繋がらない祖母と二人だけの生活はやはり寂しかっただろうなと思える。 |
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土間から小部屋をのぞく。雰囲気的に南吉の部屋だったのかなと思える。
ちなみに正面に掛けてある絵は「北川民治」のもので、空家となって寂れていたこのを整備した神谷幸之のお気に入りの画家。氏の美術館ではこの「北川民治」がメインで展示されている。 |
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襖には「ひらがな幻想」。
結構大きな字なのだが、嫌味な感じも違和感もない。
この辺りはさすが美術館を経営する神谷氏の絵心だと思った。 |
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部屋の奥から入口方面を撮影。土間には当時の農機具が置かれている。 |
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裏の井戸。南吉が日記に書いている、
「中が真っ暗な車井戸」
というのがこの井戸。正面が母屋入口方面、背後に展示室となっている蔵がある。 |
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展示室となっている蔵の取手。ウナギをくわえた狐の形となっている。
もちろん代表作、「ごん狐」がモチーフ。
ちょっと怖目の「ごん」だ。 |
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展示室内部。本来は事前に神谷美術館への連絡が必要だが、当日でも隣家が在宅であれば開けてもらえる。
中央には南吉の像。安城女学校時代がモデルになっていると思われるが定かではない。
周囲には渡辺家の戸籍謄本、南吉の作品が多く掲載された「赤い鳥」等が展示されている。 |
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壁にかかった南吉の絵。右下に「正八(南吉の本名)」の「正」の字が書かれている。
結構悲劇的なイメージが持たれやすい南吉ではあるが、ユーモラスでうまい絵を描いている。 |
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同じく南吉の絵。何をテーマにしているか全く分からないが、男が立小便をしている絵。
南吉のユーモラスな一面が垣間見られたような気がした。 |
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母屋の柱にかかる狐面。南吉の童話の多くにも狐が登場している。
残念なのはこの面は少々怖いということ。 |
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