美浜町の河童 その2

母河童「ゆり子」ちゃん(河和)

「かっぱの苑」がある河和フェリーターミナル近くの堤防上に建つ、母親カッパの ゆり子ちゃん。
女性なので当然ながら赤貝の上に立っている。

名前を背中で語るのは河童界の常識らしい。
孫までいるナイスシルバーであるが、後ろからみると立小便。

こちらは昭和34年のかっぱカーニバル時の写真。
花ちゃんの足下部分がシャワーになっていたようだ。

この「かっぱカーニバル」、当時は土日で持ち回りの会場を変えて開催していたようだが、この写真を見る限り、「かっぱカーニバル」というには河童の存在感が薄すぎる気がする。
ちなみにこの年の9月、伊勢湾台風によって甚大な被害を受けることになる。

このかっぱカーニバル、意外に長続きで、30年以上続いて平成3年まで行われていた。

お腹が痛いのか、出てきたお腹が気になるのか不明だが、乳を露出し、タコ壺を持って微笑む姿はなかなか ナーバス バット グラマラス。

残念ながらスーパー陥没乳首。

陥没乳首嫌いの筆皇は陥没解消に努める。

この努力が人間の女性に向けば彼の結婚も早いだろうと思うのだが、実際はいきなり初対面の人にこんなことしたら結婚どころではなくなるだろう。

こちら右乳首。
台座下の本格シャワーとは別に乳首噴出タイプのシャワーも備えていたようだ。

左乳首は乳腺詰まりをおこしていた。

タコ壺の中はI feel Cokeの紙コップ。
はじめてじゃないらしい。

ゆり子ちゃんと海。
かっぱカーニバルの写真には見られないテトラポッドが積まれている。

花ちゃんの河和口よりはまだましだが、とても海水浴場とは言い難い。

ゆり子ちゃんが立っている堤防の下部分。
ダンボールが敷いてあり、エサ箱も置かれてあった。
ゆり子ちゃん、完全に飼育下にあるようだ。

鉄骨、コンクリート共にかなり痛んでいおり、ゆり子ちゃんの横に立つのは正直怖い。

父河童「野間太郎」(野間)

残る父親が見つからず、あちこち歩いて日没後にやっと発見。この蟹モニュメントの裏に隠れていた。

河童といい、ふなっしー似のてへぺろ顔の蟹といい、美浜町、建てる像に節操がない。

こちらが父ちゃん河童「野間太郎」。
ヒッポリト星人でもこうはうまくいかないだろうというくらいのブロンズ像色が特徴である。

リーフレットには「手に持っていた軍配はなくなってしまいましたが、ガッツポーズが父ちゃんかっぱの力強さを表しています。」とある。美浜町、かなりポジティブ。
ただ、なぜに男でありながら赤貝に乗ってるかの記載はなかった。

ちなみにヒッポリト星人は腕から自動追尾ミサイル「ヒッポリトミサイル」が発射できる。

リーフレットに掲載されていた昭和31年の餅まきシーンの写真。現存しない台座が写っている。

庇部分にファンネル調のシャワーヘッドが見える。

父ちゃんかっぱ拡大。
当時は赤貝の上に乗っておらず、現在の台座と異なるのが分かる。残念ながら右手に掲げているはずの軍配は写っていない。

当時の台座と同じかどうか確かめに夜中の12時過ぎに撮影した父ちゃん。
やっぱり当時のものとは異なるようだ。

平成23年のリニューアルをうけ、背中の名乗りがよく目立つようになった。

本当は「野間 太郎」ではなく、「野 間太郎」。
つまり「間太郎が来る!」となる。

妻は陥没乳首だったが、夫は陥没チンコ。

陥没乳首の時はあれほど頑張った筆皇も、陥没チンコにはノーアクションだった。

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