美浜町の河童 その1
(美浜町 2013/1)

知多半島をドライブしたことがある人ならR247で目にしたことも多いと思われるコンクリート製河童像の紹介。

まず名前は「花子」ちゃん、河童の世界が夫婦別姓でなければ姓は「野間」である。町の知名度アップのため、昭和31年に父母像と共に作られ、それぞれ野間(父)、河和(母)、河和口(花子)の海水浴場にシャワー付河童像として置かれた。
併せて町ではかっぱカーニバルなるイベントを開催して、ソフト、ハードの両面から知名度向上を図ったが、護岸工事などにより半島東側の海水浴場(河和、河和口等)は開店休業状態、西側(野間等)においても、内海を擁する南知多町ほどの賑わいには至らなかった。

海水浴場がぱっとしないためか、河童像は放置プレーedとなった。平成3年、国道沿いで人目につきやすい花ちゃんにはリニューアル塗装が施されたものの、その後は再び放置プレーedが再開された。そんな地元の地盤沈下に危機感を抱いたのはとある美浜町出身の夫婦。この夫婦の寄付により、平成22年、河和フェリーターミナル内に河童家族をモデルとした「かっぱの家族像」が建てられた。また翌年12月には同夫婦の再度の寄付により、花ちゃんの婿、長男、長女の像とかっぱ伝説の碑が建てられた。
新像建造に触発されたのか、平成23年には野間太郎、同24年にはゆり子像がリニューアル塗装されている。
現在は平成23年に発足した市民団体「かっぱの家族」によって、かっぱをシンボルとした活動が続けられている。


河和フェリーターミナルの敷地内に建つ、かっぱ伝説にまつわる説明碑。

子カッパ和ちゃんが雨乞いで体力を失っていたにも関わらず、川に落ちた子供を助けて自分が流されてしまうという、まさに「カッパの川流れ」を地で行く話となっている。

碑左端の後付っぽい「つづきはうらへ」のとおり、裏面にまわると物語は続いており、子供を助けてもらった村人が和ちゃんを探すために集まったため、浜は「かっぱ浜」と呼ばれ、集いの和、憩の場となって大きな「和」ができていったという。そして河童像が造られたのも、その話が今に語り継がれたためとある。
そして行方不明となってしまった和ちゃんは海に流された後、何と隣村の竜宮城で保護と看病をうけて全快し、後に家族そろって幸せに暮らしたという…。

・・・武豊町(とは書いてないが隣町だし)の竜宮伝説とリンクしたご都合主義的なハッピーエンド。まるで「ごんぎつね」で兵十に撃たれた「ごん」が実は死なずに回復して兵十と仲直りしたような違和感がある。


性格が悪い粘着四十代の哀しさか、気になりだすといろんなことが気になりだす。
Q1.無事だったはずの和ちゃんのコンクリ像がなんで作られてないんでしょう?
Q2.花ちゃん像が抱えてる鯛は和ちゃんの無事を知らせにきた竜宮からの使いとのこと。その恩人からの使いをなぜ拉致るのでしょう?

オフィシャルな話を知る為に美浜町誌や愛知の民話集などを調べたが、美浜町において河童伝説自体が見つからなかった。
地元の老人なら知ってるかもしれないと思い、花子像付近で聞いてみたが、聞いたことはないとのこと。
それではと、美浜町に問い合わせたところ、市民団体「かっぱの家族」から返答があった。
要約すると「元となる民話は不明で伝説碑を設置するに当たって編集しました。他にも伝説もあるので、「河童伝説 内海生花」のHPをご覧下さい」とのこと。

で、早速「河童伝説 内海生花」のHPを拝見すると、こちらでは和ちゃんは行方不明のまま。
さらに、花ちゃんが抱えている鯛は和ちゃんの好物であり、父母が和ちゃんを連れて帰ってくるのを待っているとある。
編集のかとうまことさんには悪いが、こちらの方がしっくりくる。

そもそも元になる民話が不明なのに、内容を編集するというのは、さもありなんというところであろう。

「かっぱの苑」の由来碑。
もともと「子供達が河童のように上手に泳げるように」、「水難事故にあわないように」との願いから河童像が建てられたとあるが、
肝心の河童の子供が水難事故に遭っているようでは「ザ.本末転倒」である。

ちなみに美浜町誌を読む限り、河童像建造の理由は、南知多町の対抗して美浜の海水浴場の知名度を上げるためと記載されている。

かっぱの苑の「かっぱの家族」像。
離れている家族を一緒にしたいということで美浜出身の夫婦の寄付により平成22年に建てられた。

当然、離れている家族を一緒にしたいなら、無事だった和ちゃんがなんで一緒じゃないんだろうと思うところだが、世の中知らない方がいいことも多いのでこれ以上の詮索はよす。


どうでもいいが、出かけた先で河童の像を何度か見たが、たいてい単体ではなく家族で建てられている気がする。
ボイン河童の出るルンパッパ黄桜のCMも家族出演だったし、「河童=家族」みたいなイメージがあるのだろうか。

娘河童「花ちゃん」(河和口) 

名鉄河和口駅近くに鎮座する娘河童の「花ちゃん」。

遠くから見ると「実物大キン肉マン消しゴム」。

れっきとした人妻というか河童妻であり、二人の子持ちの花ちゃん。
平成3年のリニューアルでは河童デフォルトの「カッパグリーン」でなく、肌色にマイケルジャクソンした上、マニキュア&口紅でお洒落な出で立ちとなった。

それはさておき、今は「肌色」って言わないらしいね。面倒臭い社会になったね。

昭和を感じさせるタイルの台座。
昭和のアパートの便所は全部こんなだったイメージがある。

台座もリニューアル時に再塗装されたようだが、塗装の剥げたところをみると、艶があってスベスベなガラスのようなタイルだった。
色落ちはあったとしても、タイル部分についてはオリジナルのままの方が良かったんじゃあないかと思う。

高倉健は背中で語るが、河童の家族は甲羅で語る。
なんとなく名乗りも任侠っぽい。


ウンチ垂れ流しだけどね。

花ちゃんが鎮座するのは赤貝の上。赤貝とは書いてないけど赤貝のはず。

時は昭和30年代、イッツ秘宝館テイスト。

シャワーカッパ時代の痕跡である管。

どこからシャワーが出ていたのかという点で秘宝館的にも股間だったと思いたいのだが、「かっぱの家族」さんからのメールによると、残念ながらシャワーは台座(当時はもっと高かった)から出ていたとのこと。

それはそれとして、ここまで配管が来ている以上、台座から上の赤貝〜花ちゃんゾーンからも噴出していたと思われるのだが、調べても分からなかった。

台座背面。
かなりムラムラしている。


いや、自分じゃなくて塗装が。

護岸工事の際、台座はカットしたのか、そのまま埋めてしまったのか気になっていたが、設置の境界を見る限りは埋まっているようだ。

行方不明の弟(?)和ちゃんの好物である鯛を持ち、その帰りを待ちわびる花ちゃんであるが、釣り上げた鯛を誇らしげに見せびらかせているようにしか見えないのはかえすがえずも残念である。

リニューアル再塗装を受けて、15年近く経っているのでかなりお肌が痛んできている。
まぁ、水棲妖怪なので鱗だと思えば、そう見えないこともない。

お肌のアップ。
ロボっ子ビートンみたいな青色が透けて見える。

河和口駅と国道247号と花ちゃん。

やはり大便垂れ流し。


花子ちゃん背後の堤防に登って南側を臨む。
ご覧のとおり、岸辺までの距離は近いが、堤防のため完全に海と切り離されてしまっている。ちなみにもともとこの辺りは松林だったらしい。


背後堤防から北側を臨む。
写真中央右の近未来的な建物はお隣、武豊町富貴の火力発電所。発電所ができるまでは、この河和口や河和より栄えた海水浴場だったらしい。
もともと富貴には「竜宮城」伝説があったところで、現在も字名にその名を残している。

和ちゃんは隣の村の竜宮城で助けられたとあり、この武豊町の竜宮伝説とリンクさせているが、武豊のほうは事実かどうか別としてれっきとした町のオフィシャルな民話だ。

花ちゃん背後の河和口海岸。
潮干狩り場の案内はあるが、もう海水浴場ではないようだ。

暗渠の導水路。
側面には貝のイラストが描かれている。海水浴場だったときの名残かどうかは不明。

堆積した貝殻。
別名、貝の死骸。

海水浴場だとして、素足でこの死骸群は危険。

誰か飛び降りたらしい痕跡が残っていた。

小さな頃から昆虫レベルの死骸も触れない腰抜けなのだが、嫌よ嫌よも好きのうち、ついつい浜辺に行くと魚やクラゲの死体を探している自分がいる。

本日の成果はミイラ魚。

白布のかけられた殺人事件の被害者っぽいが、町誌&リーフレットに掲載されていた花ちゃんの除幕式の写真。

台座も現在よりかなり高く、立派な看板も掲げられている。当時は堤防もなく、海水浴場の目の前にあった。

さらにどうでもいいが、除幕式で河童の背後にたつこの女性、全裸かつボインで気になりませんか。私は気になります。
でも雰囲気がね、銀河鉄道999に出てくる「クレア」みたいで、欲情には至りませんな。
こちらクレアさん。

髪のボリュームを落とせば、もう少し似るような気がする。

除幕式の写真と比較するため、現在の様子をもう一度。
建造当時と比較して、台座が低くなっているのと、等身大キン肉マン消しゴムに似ているのがお分かりいただけるだろう。

花子ちゃん像の正面にある急坂。チャリダーには有名らしく、昨年末にはテレビで芸能人がチャリンコアタックしたらしい。
テレビでは花ちゃん坂と呼ばれているらしいが、散歩のおじちゃん曰く、「テレビで『花ちゃん坂』と言っていたが、初めて聞いた。」とのこと…。

分かりにくいが坂の上の方を登っていくジムニーを撮影。下からものすごい助走して上がっていった。確かにすごい坂だ。

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