常昌院
(藤枝市 2011/9)

200体以上の兵隊像が奉納されており「兵隊寺」とも呼ばれている寺。奉納されている人形は224体で、日露戦争で戦死したこの地方出身の兵隊達がモデルとなっている。しかし日露戦争と聞いて、頭に浮かんでくるのは日本海海戦と二〇三高地とポーツマス条約と与謝野晶子と日比谷焼打ちくらい。地味だけど、戦跡でよく見る各地の要塞跡なんかはこの時代近辺のものが多いし、少し調べるとなかなか興味深い。
住 所 藤枝市岡部町内谷1967
 0773-68-0836


寺に続く道は結構狭い。
10トンダンプが愛車の人はちょっと苦労するかもしれない。


兵隊の人形が多数並ぶ寺というのでもう少しおどろおどろしい雰囲気を想像していたが、来てみると意外に普通。


本堂に入ると奥の棚にずらりと並んだ人形がすぐ目に入る。昼だとそれほど怖くないが、夜来たら結構押し出し感強そうだ。


奉納されている人形のモデルとなった兵士達が所属していた静岡連隊について書かれたコピーが貼られているがちょっと読みにくい。


上下二段、ずらりと並んだ人形。ぱっと見ると全部同じに見えるが、一人一人少しづつ顔つきが異なる。


何となく一度の戦闘で全員死んだように思えてしまうが、足掛け2年に渡る戦死者を弔ったもの。
展示してある資料からすると1904年8月の遼陽会戦で53名が戦死しているが、うち30-31日の首山堡の戦いだけで50名を占めている。その他、同年10月の沙河会戦、1905年奉天会戦等で10名以上の戦死者が出ている。

棚のほぼ中央、一段高い所に置かれているのは遼陽会戦で戦死した関谷銘次郎連隊長の木像。この戦闘では両軍合わせて40万近い兵力が激突し、日本軍は5,000人以上の戦死者を出している。

大半が無縁仏となりつつある中之院と違って、こちらは出身地と氏名が記されている。

生前の写真を元にして作られた知多の中之院の軍人像と比較すると顔の写実的でなく、姿勢もワンパターンなのでおどろおどろしさは感じないが、それだけに画一的で軍隊的な感じを受ける。
服装や勲章など少しづつ服装なども異なる。

大半の陸軍兵士の中に多分6名の海軍兵士がいる。

見上げると一人の兵士がこちらに顔を向けていた。
直立不動+無表情な人形がほとんどの中、この人形だけは腰に手をあて、何となく表情にも色がある。そういうポーズの写真とか元にして作った人形なのだろうか?

軍馬の人形も一頭だけ置かれている。

生前よっぽど色白だったのか、何か他に理由があるのか分からないが、やたらと色白の兵隊さんもいる。

 
掌をこちらに向けている人形もちらほら見かける。このあたりよく分からない。

少ないが位牌や写真も並べられている。

日露戦争といえば既に100年以上前であり、従軍者は恐らく誰も残っていないはるか昔の戦争というイメージがある。
しかし自分が生まれた40年前には少なからず体験者もいたであろうことを考えると、たかだか40年といえども大きいものだと感じずにはいられない。
そして自分が寿命で死ぬ頃には太平洋戦争についても同じことになるのだろうなぁ…。

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