下栗の里 その2


里アップ。
ポスターなんかで使ってるのがこの構図か。


駐車場に戻るころには小雨になっていたので、ちょっとうろつくことにした。
まず目に入るのが上村小学校下栗分校の石碑。
どうでもいいが、上下の漢字がそろってるのに少々感動。

ちなみに今回は行ってないが、国道152号線沿いには木沢小学校跡が残っており、見学や施設の利用ができるようになっている。

恐らく分校の校舎が建っていたであろう場所には「高原ロッジ下栗」が建っている。

8月の土曜日ということでかき入れ時のはずなのだが、窓やロビーに灯りはついておらず、入口もカーテンが閉じられていて人の気配が無かった。廃業したわけではないだろうから、偶然客がいなかった日なんだろうか?

まぁ紅葉シーズン以外、泊ってまで見たい景色でもないし、観光の拠点とするにはちょっと不便だし。

日本アルプス、日本ライン、全国には数多くのなんちゃって外国観光地が存在しているが、ここ下栗は「日本のチロル」を名乗っている。

しかし日本国民の90%は「チロル→チロルチョコ」と認知するはずである。Googleでも「チロル」で検索すれば最初に「チロルチョコ」が出てくる。
「日本のチロル」はイメージ戦略として失敗じゃないかと思わないでもないのだが、現地の人に悪いからあまり大きな文字では書けない。

ちなみに日本国民残りの10%のうち8%は「チロル」と聞いて、近所の「喫茶チロル」を想像するとのこと。

分校の運動場跡。
ゲートボール場チックだった。

多分唯一残ってる分校の遺構である体育館跡。毎年音楽イベントが行われているとあるが、とてもそんな感じには見えない。

校庭跡の片隅にあった滞在型の農園施設。
車は停まっていたが、こちらも人の気配はなかった。
ドラえもんに出てくる「独裁スイッチ」押したらこんな感じなんだろうかと考えながら歩いた。

東京学芸大学教授である市川さんによる「遠山郷下栗の里を日本のチロルと命名する」の碑。何の権限があって命名しているのか分からないが、堂々と命名している割には「日本のチロル」ではちょっと芸がない気がする。

そもそも大学教授ごとき(学者でもあるらしいが)に命名されてわざわざ碑まで建ててしまうお人好しさにあきれてしまう。では自分が市川さんを「日本のベッケンバウアー」と命名しよう。

名刺に使っていいよ、「日本のベッケンバウアー」って。

何が何だかわからない記念碑。

風呂の煙突が突き出た家屋。何か店のようでもあるがよく分からない。

入口に貼ってあった下栗のポスター。
晴れて紅葉とかだったらさぞや美しいんだろうなと思う。

でも今日は雷鳴とどろく夏の夕方…。さぁ飯田経由で愛知に帰ろう。久しぶりに飯田の街並みでも見ていくことにしよう。

自分の古いCDナビの中では分校は今も存在している。そういえば福井行った時もナビ上では廃線が存続していた。
ちょっとした古地図感覚で、廃校なんか探す時に使えるかもしれない。

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