安土城 その2

天守台から伝二ノ丸跡の信長廟を臨む。
秀吉が安土城本丸本殿跡に信長の遺品を埋葬して本廟としたもの。

昔だったら子供ほっぽらかして近くまで撮影しに行ったと思うが、現在では「天気が良く、疲れておらず、テンションが下がっておらず、直近三日間で上司に怒られていない」などの好条件が整っていないとアグレッシブに撮影できない。

ちなみにこの日は曇り、疲労困憊、愛息の車中ゲロ、一日前に上司に怒られるなど、条件が整っておらずこのような手抜き撮影となった。

つい石垣内部の穴蔵部分で見てしまうので小さな天守だったように思えるが、自分達が立っている石垣から天守が立ちあがっていたと考えると逆に大きく感じる。

本丸北側は立入禁止。
整備されていない石垣など危険な個所があるので仕方ないが、以前は割と自由に散策できて今以上に生な感じが味わえただけに少々残念。

まぁどちらにしてもこの日は家族連れだったので行けたとしても行ってないだろうけど。


本丸跡の説明板。


本丸遺構の平面図。

天守台の石垣。
穴太衆が組んだという野面積。適当に積んであるようにちゃんと積めてるのがいつもながら不思議だ。

同じく天守台。
天守台と聞いて一般的に想像するであろう正方形や長方形では無いため、隅部分が直角にならない。この天守台の形状せいで上に建っていた天守も低層部分でかなり複雑な造りになってしまっているのであるが、この城の大規模な手の入れようからすれば天守台くらい一般的な四角形にできたと思うのだが。

登りはこれで終了。
やっとハルを降ろしてゆっくり歩くことができる。

観光周回ルートに沿って歩くと、帰りは本丸から摠見寺跡見学ルートとなる。もう登りは無いと思っていたのに登り石段出現。
仕方なくハルを再抱っこ。あえて恥をさらすが、写真で愛娘を抱っこしている自分の足がもつれているのがお分かりだろうか。

摠見寺跡。
礎石が若干残っているが本堂などの建造物は江戸末期の1854年に焼失している。

現存する摠見寺三重塔。
何度か修復は受けているが、建立自体は1454年とされており結構古い。安土城の完成は1579年であるため若干おかしく思えるが、甲賀の長寿寺から移築されたため。

三重塔を越えると楼門。
こちらも甲賀から移築されたもので、建立は1571年とある。門内の金剛力士像は更に古く、頭部内側に1467年作の銘が残っていたらしい。

山門を越えると長い下り階段。
登りの時は考えなかったが、当然石段は登りより下りの方が危ないのでハル再抱っこ。まぁそんなに疲れないだろうと思ってたが、下りの方が足腰へのダメージは大。
まぁオムツが取れない子供を連れてくる城ではないわね。竹田城もそうだったけど。

ちなみに昔は出入りできた百々口門口は使用不可。残念だ。

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