伊賀八幡宮
(岡崎市  2010/10)

松平氏の松平氏による松平氏のための八幡宮。
1470年、松平四代親忠が、松平家の子孫繁栄の守護神『氏の神』として創建された。徳川将軍三代家光からは日光・久能山と同じく東照大権現を祀っている。

宮司さんが話し好きで、昔朱印をもらいに訪れた際には日本の行く末など色々な話をしてもらった。それも話をしてもらってる最中、「こりゃ、時間が無い人だったらずいぶん困るだろうな」と思うくらい話好きだった。しかしこの規模の宮司さんがこれほど色々話をしてくれることはあまりないので、ありがたいと言えばありがたい。

今回は愛息太郎の七五三参りサーチで訪れた。宮司さんが親切だった菅生神社と迷ったが、こちらの方が八幡宮ということで華々しいのでここでやってもらった。人に聞くとどこの神社も結構混んでるとのことだったが、この日は1回で3〜5組のようでちょうど良かった。千歳飴はなぜかミルキーバーだったが、お菓子の詰め合わせやお守りももらって初穂料も割と安めだった。
ちなみに愛知の定番である熱田神宮は滅茶苦茶混雑するのでパス。

ちなみに強烈学会員の祖母はそれが例え曾孫のお参りであっても神社に行くのを非常に嫌う、すさまじく嫌う、エキセントリックに嫌う。
若い時はごちゃごちゃ言われて激昂していたものだが、親になった今では太郎にお参りの件を強く口止めした上でお祝いをもらいに行くことにする。
しかしこの他宗派への嫌悪は何とかしてほしいものだ。

住 所 岡崎市伊賀町東郷中86
(0564)26-2789
拝観料
駐車場
H P

境内案内図。
本殿、幣殿、拝殿、透塀 、御供所、随神門 、神橋 、石鳥居が国の重文指定を受けている。
本殿は家康、幣殿や拝殿は家光の命によって造営されたもの。

関ヶ原の戦いや大阪の陣など、徳川家の運命をかけた大きな戦いの前には社殿が揺れ動いたという。

上の境内案内図右下付近にある駐車場から蓮池の横を通って随神門へ。

随神門から蓮池を撮影。正面に神橋、石鳥居がある。
蓮は花の時期ではなかったのが少々残念だが、見ただけで鳥肌が立つあのブツブツの実がなってないのは幸いだった。

画像リンクを貼るため画像検索した際にちょっと見てしまった。おぉ、ぞぞけがする。家業が蓮屋さんじゃなくて良かった。

鎖が張ってあって渡ることができない蓮池に架かる重文指定の神橋。公式HPによると、木造建築の手法を取り入れたとある。まぁ正直、国の重文指定とはちょっと思えないチープさなのだが。

こちらは重文指定がうなずける随神門。
それほど大きくはないが、華々しくて七五三のお祝いには良いかなと。

随神門正面。
「神域を守る随神様を門の両側にお祀りする、日本でも数少ない随神門」とあるが、その随神様を撮影し忘れた。

ちなみにこの門の四隅は天邪鬼が屋根を支えている。
重そうにも見えるし、退屈そうにも見える。きっとその両方なのだろう。

小さいけど彩色豊かな彫り物もある。

境内から随神門裏側。

門の裏側部分には妙に新しく見える東照大権現の御神像。
もちろん徳川家康なのだが、あちこちで見る肖像画や像のどれとも似ていない気がする。

境内。
右手奥に見えるのが拝殿。左手奥が社務所。

あちこち走りまわる太郎を大声で呼んでたら、禰宜さんらしき若い男性が
「子供さん、太郎君って言うんですか?僕も太郎なんです」と嬉しそうに声をかけてきた。
「い、いえ…、本当は航太郎って言うんですけど、つい略してまして…すいません…、太郎っていい名前ですね!すごいですね!」

気の弱さゆえ、必要以上にドギマギしてしまい、訳の分からないフォローを入れてしまったのだが、禰宜さんもドギマギしやすい性格らしく、「えぇ、僕も太郎なんです!」とレコードの針が飛ぶように同じフレーズを繰り返していた。

巨大な千鳥破風が特徴の拝殿。
朝はすぐ近くでお参りできるらしいが、日中は透塀までしか行けない。

拝殿と本殿が直線状に接続する権現造となっているため、もっと近くまで寄れないと本殿は見られない。

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