大岡越前守陣屋跡
(岡崎市  2010/2)

越前裁きで有名な大岡忠相がおさめた西大平藩陣屋跡。大岡家はもともと大名の出ではないが八代吉宗、九代家重時代の活躍で加増を重ねて一万石の大名となった。ただし西大平藩は参勤交代の必要がない定府大名であったことと、領地が分散していたためこの地には陣屋があっただけで、領地を訪れることもなかったという。藩は忠相の子孫が続き維新を迎えた。陣屋は廃止されたが、旧藩士などの嘆願などによって陣屋跡が復元されている。


全国的に知名度もあってか岡崎市が整備する観光百選のNo1に指定されている(全然関係ないかもしれないけどね)。
とりあえず若い番号なので期待を持って見学に訪れたのだが…。


門前の説明板。外国人観光客の為に説明文も日本語、英語、中国語、ポルトガル語で書かれている。

若宮八幡宮同様、もともと日本語だけで書かれていた上に多国籍軍のシールが貼り付けられているだけ。斜めから見ると元の字が浮き出ている。


立派な門構え。
城ではなく陣屋ではあるが、一般的な武家屋敷などと比較すると風格を感じた。左手に見える屋根が陣屋跡か住居跡だろうか。

門をくぐって2月とは思えない暖かな空を眺める。規模としては小さめだが結構期待していたスポットなのでなんとなく浮かれた気分。


門をくぐって……何もない…。
陣屋と住居跡はUFOに一夜にして運び去られたようだ。

残念ながら説明板の文字も保護色になっている。おかげでUFOの襲撃からまぬがれることができたのだろう。

別の説明板。
保護色ステンレス説明板より古そうだが、文字はこちらの方がはっきり読める。
やはり説明板の造りはシンプルなのが一番だ。

最初、付設の建造物かと思ったが、広場内に置かれた神社の本殿らしい。


広場奥から門を撮影。気分的には竜頭蛇尾状態だ。

奥には井戸らしきものが設けられている。
恐らくそんなに深くはないだろうが、超少ない史跡の一つなので若干の期待を持つ。

…また期待を裏切られた。

栄えある「岡崎観光きらり百選」、コードNo1のトイレ。
「岡崎観光きらい百選」があったとしたら、自分はここでもNo1に推すかもしれない。

敷地南側にある門。
敷地内の小さな神社の門にもあたる。奉納された狐像は平成20年と新しいものであった。

数百m離れた旧東海道沿いにある大平一里塚跡。それほど大きな道ではないが車の通りが多くて撮影しにくかった。

もともと塚は二つあったが、昭和3年の道路改修の際に一つは破壊されており、一つが残るのみ。

一里塚の説明板。
文の最後に「昭和十三年四月二十一日」とある。自分が見た中では恐らく一番古い説明板だろう。正直陣屋跡より感動した。

名古屋市内ではあまり残っていない旧東海道であるが、三河地方では結構その痕跡を残している。

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