橿原市今井町の古い町並み その1
(奈良県橿原市  2008/11)

ヘビービューワーのaさんによる橿原市今井町のレポート。この枠文章ははっとし筆。


恥ずかしながら自分はこの今井町について初耳だった。橿原市の公式HPから概略を引用すると、
称念寺を中心とした寺内町今井は完全な城塞都市で、江戸時代初期の概略を考えると、東西600m、南北310m、周囲には環濠土居を築いた戸数1100軒、人口約4,000数百人を擁する財力豊かな町であった。町割は西、南、東、北、新、今の六町に分かれ、9つの門からは木橋を通って濠を渡り、外部の道路と連結している。」とある。


自分好みのあまり観光化されすぎていない古い町のようだった。最近はネタ探しでゆっくり町歩きできていないが、昔は結構こういった町をのんびり歩くのが好きだった。写真を見てて思ったのが、やっぱり人によって写真の撮り方というか見る物が違ってくるんだなぁということ。
よく筆皇と一緒に出かけて写真を撮ると、全くと言っていいほど撮り方が異なる。引き気味の写真が多い自分とアップの写真が多い筆皇という感じで後から見比べて同じ場所に行ったのかと思うこともあるくらい。aさんも引き気味の写真が多いがやはり自分とは撮るポイントが異なる。当たり前と言えば当たり前だが、こういった人の写真の撮り方というのはとても勉強になる。


またaさんは建築について詳しいので、自分だったら文章で誤魔化してしまう部分もその名称がはっきり記載されている。自分も建物の写真が多いのでもう少し勉強しなくてはと反省…。


ではaさんのレポートをどうぞ。

今井まちなみ交流センター(華甍)。 明治36年築。昭和4年からは役所等にも使用。 部分修理を行い当初の姿に復元し、一階は資料館、二階は講堂として開放しているとのこと。

1階展示室。江戸末期の町並みのジオラマがある。 町の周囲を囲む環濠は現在は無いが、町の区画は当時とほとんど変わりないとのこと。

時間があまりなかったため、町の南半分の散策。 電線が地中化されている。道幅は車が1台通れるくらい。 実際に生活しているお宅が多いので結構車が通る。

知念寺。なんか傷みひどくないかい?よく見ると屋根が落ち込んでないかい?

金物とか、木のつっかえ棒で補強されている…。崩落して下敷きとなる恐怖に襲われる。

本堂。写真だとわかりにくが屋根瓦は苔むしている。

本堂の脇を覗く。ここにもつっかえ棒が!

かつて町の形成の中心となり、明治天皇が泊まったこともある寺がかなりの荒廃。

寺の門に貼ってあった。絵はがき販売で修理費を集めるようだ。実際傷み具合をみてしまったので切実さがよく理解できた。が、購入せず。

そういえば知念寺付近はまだ電線があった。 苔むした屋根と電線がなんか良い雰囲気。

車が通れない幅の脇道はアスファルト舗装ではない。

町の西端まできた。 かつての環濠が部分的に復元されている。

折り返して東に向う。 右側の建物が今西家住宅。自治権をゆだねられる有力者の家だけあって一際立派。

今西家住宅正面。 壁は白漆喰塗。格子をはめ込んだ小さい窓。屋根はお寺等で使われる本瓦葺きが今井町の伝統的な建物の特徴。

防火の為、軒裏まで漆喰塗。 なんか城みたい。

内部は撮影禁止。 入口を入ると吹き抜けの土間。 自治権をゆだねられていただけあって、道路側の二階には牢屋がある。

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