原爆ドーム/広島平和記念資料館 その2

全身に大火傷を負って翌日死亡した中学生の爪と皮。
出征中の父親への形見として母親が残しておいたもの。

「伸ちゃんの三輪車」
事前に資料館のHPで概要を読んで心苦しかったが、実物を見て更にブルー。
太郎が生まれてからは、こういった子供が被害を受けたものに接すると気が滅入る。


父親は3歳で死んだ伸ちゃんを火葬して墓に入れるのが忍び難く、伸ちゃんと当日一緒に遊んでいて死亡した近所の女の子の遺体を手を繋がせて自宅の庭に埋葬した。また死んでからも遊べるようにと三輪車も一緒に埋めた。
40年後、父親は意を決して遺骨を掘り出し改めて埋葬、一緒に出てきた三輪車と鉄カブトは資料館に寄贈された。


伸ちゃんはともかく一緒に隣の女の子は埋めてよかったのだろうか?まぁ一家全滅したのかもしれないが。

焼けて表面がブツブツになった瓦。

人が座っていたところが黒く残った階段。もちろん座っていた人は即死に近い状態だったのだろう。

焼け爛れた生活用具などを一堂に展示。一つ一つは小さいが、こうして並べられると迫力が出る。


東館と比較して展示が地味なことは否めないが、悲惨な状況が伝わるのはどちらかというと本館の方。ぜひ時間をかけて見てほしいと思う。

平和記念公園をぷらぷら歩いて原爆ドームへ。前回広島に来た時にはなぜか見た覚えがない。


大正期に物産陳列館としてチェコ人によって設計されたもの。よく見ると洋風の飾りっぽい造りがあちこち確認できる。

もちろん中に入ることはできないが、正直もう少し近くまで寄れると思っていた。


叔父が昔、修繕の為に中に入った事があると言っていた。羨ましい。

ドーム手前にある複数の柱は敷地内につくられていた洋式庭園のもの。

翌日、船から撮影したドーム。
あまり正面からの写真を見た事がなかったので新鮮だった。
こうして見ると、元々シンメトリーな造りだったことがよく分かる。


詳しい地図で見る
Yahooの航空写真で見たドーム。
上から見ると、見事にカスカス状態。まぁこのおかげで崩壊を免れたのだが。

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