十津川村 プチレポート その2

少々道に迷って佐久間信盛の墓所到着。同じ場所に楠正成の孫、楠正勝の墓がある。
熊野古道で観光客が増えた十津川村ではあるが、ここを訪れる観光客はあまりいなさそうだ。

楠正勝の墓。
南朝復興のために再起を図ったが、この地で病没したとされる。歴史的にほとんど無名な人物ではあるが、南朝方のこの地では篤く祀られている。

織田信長の重臣であった佐久間信盛の墓は楠正勝の墓の後ろに寂しく佇んでいる。


信盛は石山本願寺の攻撃時の無策ぶりを糾弾され、息子(信栄)と共に高野山に追放された。後に高野山に住むことすら禁じられ十津川に落ち、温泉地温泉で没した。信栄はその後帰参した。
重臣として信長に長く仕え、石山本願寺攻めの総大将を務めるほどであったが、墓すら他人の墓の裏に建てられるほど落ちぶれた。

楠・佐久間墓所のすぐ近くにある「十津川村教育資料館」。昭和45年に廃校となった武蔵小学校の校舎で、教育資料などの展示を行っているらしい。
開館は4〜11月の第二・四日曜オンリーと、狭き門。

この日は吹雪まくる2月の日曜日。
だーれもいない旧運動場で一人寂しく写真を撮る36歳の自分。でも、そんな自分が大好き。

当然この日は開館しておらず入れない。
ゆがんだガラスって何やら暖かい感じがして好きだ。でも吹雪いてるから本当は寒い。

中の様子。
教育資料って何が展示されているのだろう。地図とかでっかいコンパスとかホルマリン漬けとかだろうか。

渡り廊下で繋がっている講堂。
講堂というより、神社か寺チック。

倉庫みたいな部屋に山積みになった机と椅子。使わないなら一脚欲しい、太郎の椅子に使うから。

便所。
うまく壁にあてないと激しいお釣り攻撃を食らう壁便器。お釣りだけならいいが、隣人のお釣りをもらうと一日鬱。

穴が開いてるだけの大便コーナー。
公開されている昔の建物とかでよく見るが、その場合は大半、いやほぼ全てが使用不可となっている。


しかしここは違う…。
プリーズ、ユース、カモン、カモンなのだ。

だから穴を覗くと大量の糞尿とティッシュが目に飛び込んでくる。さすがに使用頻度が低いので匂い自体はほぼ無いが、なんともエキセントリックな光景だ。
36歳にもなって、子供もできて、こんな写真撮ってる。でも嫌いじゃない、そんな自分。いや大好きだ。アイ ラブ ミー。

小学校ができる前は寺だった。
天皇との結び付きが強かったこの地では明治期の廃仏毀釈が徹底的に行われ、50を超える寺という寺が全て破却された。現在も村内に寺はないそうな。

武蔵小学校の写真を撮ってたら、おじいさんがポストに手紙を入れに来た。
雪の吹きすさぶ中、寒そうに、でもゆっくりと歩くおじいさんがとても絵になった。

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