最初のプロ野球 〜鳴海球場跡〜 その2

お願いして一塁側スタンド部分に上がらせてもらった。
昔は閉鎖されておらず、生徒はスタンドに登ることができたようだが、危険防止の為、現在は立入禁止となっている。

スタンド出入口はコンクリートで閉鎖されていて、使用できない。


戦後突貫工事で建てられた名古屋球場が木造スタンドであったのに対し、戦前余裕のある時代に建てられた鳴海球場はコンクリート製のスタンド。


戦争遺跡でもそうだが、明治期に作られた建造物がレンガなどで丈夫に造られているのに対し、戦中建造のものはわりと質素で「もろい」ものが多いようだ。

スタンド通路部分。


職員の方に、鳴海球場の事を聞いてきたり、スタンドに上げてくれという生徒さんはいますかと質問してみたが、ほとんどいないとのことだった。
跡マニアからすれば、すこぶるもったいないことである。

一塁側スタンド最上部からホームプレート方面を撮影。一番球場らしさが感じられるアングルだった。

一塁側スタンド最上部から三塁ホーム側スタンドを撮影。

一塁側スタンド最上部から三塁側スタンド遠景。
三塁側はスタンドが二つ残っている。ホームベースは写真左側。

扇の形が残っている外野側。
当時の写真で、1ページ目にある、タダ見している見物客は奥の高台から見物していたのだろう。

自動車学校のナイター施設鉄塔。
鳴海球場自体にはナイター設備は無く、自動車学校開校後に設けられたもの。

三塁ホーム側スタンドの外側に残る出入口。
現在は埋められてしまい、出入りできないが、形状に当時の雰囲気を残す。
当時の写真でもこの出入口は確認できる。

三塁ホーム側スタンド外側。
職員の駐車場となっており、うまい具合に撮影できなかった。

三塁ホーム側スタンド出入口アップ。
三塁側はスタンドが二つ残っているが、開場当時からあったのはこちら(内野)側。

三塁外野側スタンドの外側。
外周道路からスタンド跡を見ると、今でも自動車学校より球場の方がしっくりくる。

三塁外野側スタンドの外側。
現在車庫として使用されているスタンドで、窓や出入口は閉鎖されているが、コンクリなどで埋めるということまではやってないようだ。

内野側(右)と外野側(左)のスタンドを外側から撮影。スタンド間をつなぐ渡り廊下のような通路が設けられている。
当時、なぜこのような間を開けたのか不明。

再び三塁内野側スタンドの外側。
外野側と比較すると、規模が少し小さいが、窓の形状などの造形はこちらの方が丁寧。

昭和末期の三塁ホーム側スタンド外側。当時は職員用の駐車場がないようで、出入口の外側すぐが道路となっている。また、窓が封鎖されていない。

一塁側スタンド外側。
三塁側でいうところの外野側スタンドにあたる部分。ホーム側スタンドがあったところは、自動車の出入口となっており、建造物は取り壊されている。

外野センター側からホームベース方面を臨む。
自動車学校になったばかりの頃は、メインスタンドなども残っていたようだが、現在はごらんの通り取り壊されて残っていない。

外野グランドの外周部分。
見事の扇の孤を描いており、球場の形を意識して歩けば、簡単に往時の様子を思い浮かべることができる。

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