典厩寺 その2 |
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閻魔堂横の信繁「首きよめの井戸」。 |
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草で中はよく見えないが、あまり深そうではない。 |
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この寺の見物の一つである、「川中島記念館」。昭和41年に建造された。 |
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それほど広くない建物内に数々の展示品。空調は効いておらず、盆地特有の湿り気が立ち込めている。 |
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信繁が着用した鎧の下着。
左胸のあたりに大穴があいている。刺された跡かと思ったが、血の染みなどがないので違うのかもしれない。 |
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信繁の刀。
戦闘中に折れたとのこと。保管状態が悪いためか、かなり錆びている。せっかくの品もこれでは台無し。 |
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なぜか手裏剣の展示もある。説明は全くないが。 |
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松代藩8代藩主真田幸貫の写経。
真田幸貫は寛政の改革で有名な松平定信の子で真田家に養子で入った。佐久間象山を用いるなど、藩の改革に力を発揮したとされる人。 |
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最後の松代藩主真田幸民の子、幸正の筆による「懐古」。自分の父の代で殿様が終わってしまい、江戸時代への懐古という意味で書いた…と勝手に解釈している。
正直あまりうまい字ではない。 |
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甲陽軍艦。
信玄・勝頼の活躍を海津城主(後の松代城)であった高坂昌信が記したとされる。
実際、著者もはっきりせず、内容も誤記が多く、史料価値はそれほど高いものではない。 |
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この寺の鎧塚から出土した直刀。塚ってほんとに何か埋まってるんだなと別の意味で感心した。 |
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上杉謙信。
信繁が戦死した第四次川中島合戦の時は上杉政虎だった。 |
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信繁使用の品々。 |
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同じく信繁使用の品々。
保管状態が人事ながらすごく心配。 |
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戦には全く関係ないが、ちゃんと説明付き。 |
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薙刀。
劣悪な保管状態が40年間続いている資料館。拝観料だけではなかなか維持は難しいかもしれないが、貴重な展示であるなら保管方法を考えるべきなのだろう。 |
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