典厩寺 その1
(長野市 2006/8/25)

川中島の合戦跡地近くに建立されている寺。もともと鶴巣寺という名前であったが、武田信玄の実弟武田典厩信繁の本陣であり、かつ墓があることにちなんで信繁没後60年を経た1622年に現在の名前に改められた。境内には武田フリーク垂涎の「川中島記念館」なるものも併設されているが、はっきりいってしょぼい。
川中島戦没者を弔う目的でつくられた日本で一番大きな閻魔大王像がある。桜は見物らしい。

松代町の観光マップに掲載されていたのを見て訪れた典厩寺。そのネーミングなどから、結構観光客が多いのではないかと思ったが、駐車場に観光客のものらしい車はなかった。

典厩寺の額。当然読めない。

境内は思ったよりも広いが、やはり観光客の姿は見られない。

観光客の姿が見られないのは別に構わないが、寺の人の姿まで見られないのは多いに困る。
寺務所の前に置かれた箱に拝観料がそのまま積まれていた。夜に鍵をかけなかったという古き良き時代の日本を思いおこさせて良かったが、やはり無用心だ。


帰宅後に調べてみると、ここの朱印は「陣中観音」、押さえておきたかった朱印だけに人がいなかったのは残念。

門をくぐってすぐ左側にある閻魔堂。
1860年、合戦300年祭の法要として建立されたとある。

こちらが日本一大きな閻魔像。
パンフレットには2丈余(2丈が6m)とあるが、実際見てみるとそこまではないような気がする。

顔とそれより下で、かなり赤色の感じが異なる。また顔のリアルさと比較して、胴体や手はなんとなく手抜き気味。

天井には三十三身の像。

弘法大師作という薬師如来も鎮座している。何度見ても手は手抜きっぽい。超合金のパンチみたいだ。

壁にかけられていた額には地獄の裁きの絵が。閻魔大王、あちこちで大車輪の働き。

境内に置かれてある兎と亀の像。
物語にあるような、堕落した兎のイメージはこの像にない。

信繁の墓案内板。
真贋定かではないが、武田家家臣だった真田昌幸は次男の名に敬愛する武田信繁の名をつけたとされる。大坂の陣で有名な真田信繁(幸村)である。

信繁の墓。
観光客の姿は見られなかったが、新しい花が供えられていた。

本堂の戸の横には武田・上杉の旗印。

武田・上杉両雄の一騎打ちの碑。これでもかと川中島を前面に出しているが、残念ながらパンチがないのも事実。

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