南知多町郷土資料館 その1
(南知多町6 2005/2) |
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別のスポットを探索中に偶然見かけたので入ってみた資料館。移転した学校の建物を利用している。資料館へはちょこちょこ行っているのだが、その中でも一、二を争う「廃」チックさをかもし出している。常駐する係員はおらず、入りたいときは隣の図書館に声をかけて鍵をあけてもらわなければならない。町のHPを見るとつい4ヶ月前ほどに展示替えを行ってプチリニューアルしているらしいのだがガラスケースには埃がたまってほとんど見学客がおとずれない現状を見ることができた。
小さな子供は怖がるかもしれない。
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住 所 |
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知多郡南知多町大字内海字柴井1-66 |
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(0569)65-2880 |
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入場料 |
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駐車場 |
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開館時間 |
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9:00?〜17:00 |
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休業日 |
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月曜日(除祝日)・年末年始 |
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H P |
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見るからに学校チックな建物。最初もしかした廃校かと思って近寄った。 |
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すると入口には「郷土資料館」の看板、少し残念だったがせっかくだから見ていこう近寄ってみた。 |
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入口には鍵がかかっており、「郷土資料館見学希望の方は、左のインターホンでお呼び下さい」とある。インターホンで見学希望をつげると図書館の方からおじさんがやってきた。
おじさんは見学客がやってくるのがとても嬉しいようだった。鍵を開け「帰る時にまた声をかけてください」とすこぶる丁寧なお辞儀をして去っていった。 |
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案内板は黄色味がかっている。もちろん手書き。 |
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一目で学校だったと分かる雰囲気。
まわりを見回していると廊下の奥に怪しいおじさん。脈拍が瞬間的に150オーバー。しばらくして顔をクシャクシャにしてこちらを睨んでいるおじさんが大きな鏡に映った自分だと気付いた時には老いというものを真剣に考えざるをえなかった。 |
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倉庫がわりに使われている教室。鍵がかかって入れなかったが展示もれした物品が雑然と置かれている。奥には剥製らしきものも見える、理科準備室の誰も見ないホルマリン漬け蛇と同じくらい哀れ。 |
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展示室の一室。
黒板やプリントを貼る掲示板など教室であった時の備品はそのまま残っている。廃墟ではないので廃墟マニアは入らない、したがって落書きもない。ある意味メジャーな廃墟スポットより人の気配がないくらいでご機嫌。 |
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どうやらこの資料館の目玉の一つであるらしい「宝久丸」1/10の模型。江戸〜明治時代に活躍した内海船とのこと。この他船にまつわる備品の展示もされていた。 |
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廊下の隅におかれた電話交換機。なんの説明もないのでいつ頃使われていたものか不明。
とりあえず配線を差し替えたりして交換手気分を味わってみたが面白くなかった。 |
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「びく」や船大工っぽい小物の展示。
漁に関するものらしい。 |
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今では考えられないが、この辺りで捕鯨を行っていたのではないかという説明板。鯨のたけりを食べた感想を聞いてみたい。 |
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展示なのか物置なのか良く分からない上の階の廊下。奥には戦前の消火用ポンプが無造作に置かれていた。 |
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廊下では昔の教科書を展示。ガラスケースには結構な厚みの埃が今も堆積中。 |
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授業中騒いだらしく、廊下で授業を受けさせられた輩の机が今も並ぶ。 |
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机の上には教科書が置かれたまま。
自分が小学生の時には教室に教科書を置いて帰ると、熱血担任の「精神注入棒」によるお仕置きがあった。
精神注入棒は初代から三代目まであったが、二代目の貧弱さを改良した三代目によるものが一番痛かった。 |
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戦前の南知多海水浴場のポスター。鳥瞰図右側には富士山すら見える。 |
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