野間大坊 その2

討った義朝の首を洗ったとされる血の池。

妙に長い卒塔婆がいくつか建てられていた。池ノ水は干上がってしまって「血の池」のイメージは無し。

血の池隣の弁天池。暗い水の色と池に覆いかぶさった木々、名前に似合わずおどろおどろしい雰囲気。一見、こちらが血の池かと思ってしまった。


義朝廟説明板。

源義朝廟入口脇に建てられた碑。正二位が贈られている。

義朝廟門。
湯殿で丸腰状態で襲われた義朝の「木刀の一本なりとあらば…」という最期の言葉から、木刀(ヘラくらいの大きさ)に願い事を書いて奉納すると願い事がかなうとされている。


門脇に奉納用の木刀が売られて(?)いるが、それに願い事を記述するためのマジックによって門は落書きだらけ。

織田信長の三男信孝の墓。
野間大坊の紹介に源義朝は切り離せないが、この信孝についてはあまり紹介されていない。


信長没後の清洲会議において、一番家老の柴田勝家に織田家の後継者として推されたが、羽柴秀吉の推す三法師(信長嫡孫)が後継者に決まる。
その後柴田勝家と組んで秀吉と争うが、勝家が賤ケ岳の戦いで敗死すると、次男信雄の命によってこの野間の地で自刃した。

自刃の命は信雄によるものであるが、その辞世の句では、裏で糸引く秀吉に対する恨みが込められている。


「昔より主を討つ身の野間なれば
 むくいをまてや羽柴筑前」


「昔より主を討つ〜」は長田父子による主殺し(義朝)をさし、「討つ身」と「内海」はかけ言葉。もちろん羽柴筑前はもちろん羽柴筑前守秀吉。

頼朝の命を救った清盛の継母、池ノ禅尼の塚。

義朝家臣鎌田政家の墓。
政家は義朝を討った忠致の女婿であったが、義朝と同じく殺害されている。忠致の娘で政家の妻であった女性は、政家を追って自害。

義朝墓、奥は信孝の墓。
かなり規模が異なり少々気の毒。

奉納された木刀。
「家内安全」、「病気平癒」の願いが多く見られたが、時節柄「希望校合格」というものも多かった。
一番良かったのは「剣道がうまくなりますように」…、ここにぴったりの願いごと。
「ダイエット成功」…、頑張って下さい。

正面から見た廟。
義朝の子頼朝によって平家は滅び、源氏の世がようやく訪れたが、頼朝は異母弟である範頼・義経を征伐、その頼朝の子・孫らも妻の実家である北条家の計略によって殺されてしまう。
なにやら呪われた家である。

8歳・・・親が当然とめるべき。

14歳で「年度」が書けないからこういうところに落書をすることになる。

家内安全…。これで叶うと本気思っているのなら確かに家内安全だ。

ここにもカキコ。

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