野間大坊 その1
(愛知県 2005/2)

知多八十八箇所のひとつ、野間大坊は鎌倉幕府を開いた源頼朝の父、義朝の最期にまつわる寺として有名。内や近辺にはには義朝廟や義朝の首を洗ったとされる血の池、落命した湯殿跡、そして義朝を討った長田父子が逆磔にされた松の木などが残っている。
参拝料 500円(本殿)
駐車場 無料

野間大坊近くに残る長田屋敷跡。
現在は梅の木らしき木々が植えられているが、広い敷地は屋敷跡を思い起こさせるに充分なシュチエーションを持っている。

かなり引いた場所から屋敷跡を撮影。中央右の白い四角が上記案内板。

父親を裏切って殺害した人物を磔にするというのまでは分かるのだが、平家討伐までさんざんつかっておいてというのは何か頼朝の暗さを感じる。
裏切りには裏切りということらしい。

長田父子磔の松。
磔の松と辞世の句が刻まれた碑、説明板が残る。


「ながらえし命ばかりは壱岐守 美濃尾張をばをばいまぞたまわり」
「壱岐守」は清盛から義朝を討って与えられた恩賞。
「美濃と尾張を与える」というのが「身の終わりを与える」というのにかけてあるらしい。

既に枯死してしまっている磔の松。古電柱で支えられている。

野間大坊信徒会館。
外観からすると旧小学校を移築したように見えたので歓喜したが、違うようだった。

信徒会館脇の像。
これを見て「これがほんとの友達の輪だ」と内心笑えてしまうところに自分の年齢とキレの無さを感じたが、表情だけは無表情を努めた。
別に誰が見ているというわけではないのだが、まだ若いという自己満足を得るためには止むを得ない。

五重塔跡。
礎石でも残っているかと探してみたが見つからず。

鐘楼。
建長2(1250)年、鎌倉幕府五代将軍九条頼嗣にから寄進されたもので、重文指定されている。
ちなみに九条頼嗣は源氏嫡流による将軍が3代で滅びた後、幕府の実権を握る北条家によって置かれた傀儡将軍。

鐘楼を臨む。手前には三波石、これを撫でると鳥が飛び立つように往生できるとある。
まだ死にたくないので、とりあえず撫でずにおく。

天邪鬼像。
頭の上にはなぜか1円玉。できたばかりの中部国際空港の泉にも小銭が投げ込まれ困っているらしい。
こういう日本人らしさは嫌いではないのだが、魚がいる池に投げ込むと鉱毒で死にやすくなってしまうのでやめておいた方がよい。

本殿。
中には入らなかったが、ここで「源義朝御最期の絵解」を聞く事ができる。今度時間があったら聞いてみたい。重文指定。

大御堂寺本堂。思ったより大きくなかった。

「海友」と刻まれた石の上には日清戦争時の海防艦「松島」・「厳島」・「橋立」、いわゆる三景艦の主砲砲弾。

源頼朝が寄進した大門。現在は柵で囲われており、通り抜ける事はできない。

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