手向山砲台跡 その3

公園の最高部地点に残る砲台跡。
6砲座あり、1砲座に2門の砲が配備されていた。中央4砲座は直線状に、両脇の2砲座は内側に折れて置かれた。


中央右の奥まったところが砲座跡で、その横には第1〜5号まで番号がふられた倉庫がある。

第5号倉庫。公園として整備された時にかなり埋め立てられたようで、現在は入口の上部のみが顔を出している。

第1号倉庫付近から関門橋方面を臨む。宮本武蔵が小次郎と戦った巌流島も見える。

遊具が置かれた砲座跡。

海側に近い第2倉庫。こちらはほとんど埋まっていない。どの倉庫も全て入口はブロックで埋められている。

2番倉庫と3番倉庫の間の砲座跡。ステージっぽく整備されてしまっている。

 
3番と4番倉庫の間の砲座跡。説明板と砲台跡の碑が建てられている。

 
4号倉庫、入口上部には「明治20年9月起工、同21年竣工」と刻まれたプレートがはめられている。白く塗られて何やら別の意味で痛々しい。

4番と5番の間に残る建造物。ここには入口がない。妙に狭くておっかない階段が残っている。

フェンスで登れないようになっているが、世の中の人が皆、自分と同じくらい高所恐怖症なら、こんなフェンスが無くても誰も登らない。

手が加えられていない砲座跡。せっかく戦争遺跡のある公園として整備するのであれば、ここの木は少々邪魔、一つくらい往時の雰囲気を残してくれてもいいのだが。

砲座跡に残るブロックの遺構。

倉庫の上部分も広場として整備されている。
写真は宮本武蔵の碑。養子であった伊織が建立したもの。

 
倉庫上部の排気蓋。ほとんどのものが半分埋まりかけているが、1番倉庫に近い側のものは地表にしっかり出ていた。

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