四国18切符ツアー(屋島編) その1
(2004/3/28)

四国ツアー最終日、この日は源平合戦の地「屋島」、日本最大といわれる蝋人形館の「高松平家物語歴史館」、日本三大水城の「高松城」を見学後、約7時間かけて名古屋に戻るのである。「高松平家物語館」の場所を完全に把握しないままであったが、まぁなんとなくは分かるし…ということで出発。これが大きな失敗だった…。

カプセルホテル最寄の瓦町駅から高松琴平電鉄で屋島へ向かう。
ちなみにこの高松琴平電鉄は名古屋地下鉄車輌の第二の働き場所としても有名。写真の車輌も元東山線で走っていた250系。

路面電車のようにトコトコ走る電車に乗って数分、屋島が見えてくる。屋島は溶岩台地で、その形状が屋根に似ていることからその名が称せられた。元々は島だったが、現在は半島になっている。
真ん中が少し窪む形となっており、北峰と南峰に分かれている。主な観光場所は南峰に集中しており、北峰はプチ登山な感じになる。

レンタカーは前日返してしまっているので、ケーブルカーを利用して上まで登る。往復1300円は若干高いが、登山するわけにもいかないので我慢。

昭和25年製の古いケーブルカー。昭和4年の開業で歴史は古い。この日乗ったのは「辨慶号」、他に「義経号」がある。

これでケーブルカーは比叡山、箱根に続く三回目。ご存知の方も多いが、ケーブルカーに乗るときは下の方に坐るのが○。登りではついつい前に坐ってしまうが、景色は当然下の方がよい。

ケーブルカーから高松市街を臨む。天気も良好で思ったよりも視界が広がっていた。

山上駅で貸自転車(500円)を借り、島内半周コースへ。なんとか午前中に屋島と平家物語歴史館を見学する予定なのだ。この場所に割ける時間は約1時間。


写真は檀ノ浦。平家が滅びた壇ノ浦とは異なる。那須与一が扇の的を射た屋島の合戦の地なのだ。




展望地である談古嶺から眺めた古戦場。平家が舟を隠したという「船隠し」や、義経がその弱い弓を見られることを恥じ、落とした弓を命がけで拾った「義経の弓流し」等が一望できる。もう少しガスがなければ小豆島までばっちりカメラに収められたのに残念。

1185年2月19日、一の谷の合戦で敗れ、屋島を拠点にしていた平家軍に対し、義経は嵐をついて屋島へ移動、夜が明けると共に急襲した。その後激しい戦闘となったが、結局平家軍は破れ、安徳天皇を擁したまま海に逃れた。義経はさらに追撃を続け、一ヶ月余り後の3月24日に壇ノ浦で平家を滅ぼす。


写真は平家の「舟隠し」アップ。確かに隠しておくには絶好の場所。

香川県内では有数の観光地である屋島ではあるが、宿泊施設の半分は潰れていたようだ。つ・ま・り廃墟天国なのである。どうしてこんなに胸がときめくのだろうか。
時間がないので、ちらっとのぞくことぐらいしかできなかった。廃墟マニアとしては胸を引き裂かれるような思いだった。

廃ホテルロビー部。入口のガラスにカメラを密着させて撮影したものなので内部には入っていない。どのホテルも落書きは見つからず、保存状態は良好。今思い出してももったいないことをした。

南峰北部から見た北峰。どんぶりをふせたような形だ。

展望台で咲く桜と北峰。

屋島城跡。現在は展望台となっている。事前に知っていないと城があったとは思えない。ただ瀬戸内海をにらむこの場所は城として絶妙な位置。




屋島城跡説明版。俗にいう戦国時代の城とは異なる。

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