栄国寺(切支丹遺蹟資料館) その1
(名古屋市中区橘1-21-38 2004/2)
(052)321-5307
9:00〜17:00
休館日 月曜日
大人100円 小中学生50円
駐車料金 基本的に無し

なぜ寺に切支丹の資料館があるのか?という疑問から訪れた栄国寺。
栄国寺は名古屋市の中心部からやや南、東別院の近くにある寺で、この付近は江戸時代初期、千本松原と呼ばれる処刑場であった。罪人に混じって数多くの切支丹もこの地で処刑され、1649年町岡新兵衛が石の供養塔を建てた。
その後も数多くの切支丹がこの地で処刑されたが、1665年、尾張二代藩主光友は処刑場を現在の新川町に移し、跡地に処刑された人々の冥福を祈るため清涼庵を建立、1685年栄国寺となる。
本尊の阿弥陀如来像は名古屋三大仏の一つで火除けの霊験豊か。「火伏(かぶせ)不思議の弥陀」とも呼ばれる。実際、戦時中の名古屋大空襲の折りにもこの付近に落ちた焼夷弾は全て不発であったという。

東別院をはじめ数多くの寺が林立する。格子窓を持つ民家も現存しており名古屋市の中心部に近い場所とは思えない。

栄国寺門。もともと徳川光友が建立した寺でもあるので、葵の紋もしっかり入っていた。

切支丹塚(千人塚)入口。なにやら奥は薄暗くて不気味。

木々で薄暗い一角に建てられている切支丹塚(右)。火災は免れたが地震には勝てず、真ん中から一度折れてしまっている。
左は顕彰碑で切支丹の受難から寺の建立までのあらましが刻まれている。

栄国寺本堂。敷地はあまり広くないのだが、本堂は思ったよりも立派だった。

本堂前の切支丹灯篭。サオ(足)の部分が十字となっている。

本堂前を通って、切支丹遺蹟博物館へ。玄関を通って左側が住宅部分、右側が博物館から本堂となっている。

はっきりいって狭い。写真右手に本堂への入口があり、展示物は写真左手のみ。

マリア観音、かくし弁天、踏み絵等の展示物が陳列されている。

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