諏訪廃村 
バイク用地図を眺めていた際に、地図の説明に「廃村〜」とコメントがされていたのを見ていつか行こうと決めていた廃村。「静岡〜山梨」の帰りに訪れる予定であったが、体力消耗と天候の悪化で見送った経緯がある。今回八ヶ岳に行った帰りにやっと訪れる事ができたが、日没直前であったため、ほとんどちゃんと見ることができなかった。機会があれば再度チャレンジしたい。

地図ではルート上のコメントに「廃村〜」と載っていただけで、具体的なポイントは掲載されていなかった。まぁ、走っているうちにそれらしい形跡を見ることができるであろうと走っていたが全く見つからない。
やっとそれらしい平地と橋を見つけて写真撮影。建物は残っていないであろうと想像はしていたが、どうもしっくりこない。

道を歩いていたお婆さんに聞いたところ、上記の写真の場所はやはり廃村ではないらしい。そこから車で10分ほどの所に集団移住した村があるとの事だった。日没直前、果たして間に合うのか?またお婆さんに教えてもらった情報自体正確なのか?カーブが続く道を急いだ。

いきなり目の前に現れた家屋。これが廃村なのだろうか?近くに寄ってみたが、廃屋とは思えない状態。2階の窓をみるとBS用のアンテナ…。
旧住民がたまに旧家に戻るというのを聞いた事があるのでこの家もそうなのかもしれない。

畑には野菜が…。やはり別荘がわりに使用しているのだろうか?

人が近年住んだ形跡が無い家屋。
このような建物が数軒固まっている。どうやら廃村は間違いないようだ。
公共用の建物だった思われる廃屋を庭の方から撮影。役場?とも思ったがどうもそんな雰囲気でもない。

草がまきついて廃村ムード抜群。

少し歩くと碑があった。読んでみると、やはり集団移住した村跡らしい。


江戸時代に開拓された村で藩と藩の境目であったため境界の山争いにそなえた関所もある村だったらしい。
あとはお決まりのコース。山中ゆえ、米はとれず、頼みの養蚕業も下火、他に特別な産業もない。昭和に入り人口は激減、昭和47年にはわずか八戸にまで減ってしまったらしい。そして同48年移籍金を受けて全戸移住した。
昭和48年の移住ともなれば家屋の破損はもっとひどくなると思われるので、やはり若干の手は入っているようだ。その前にBSアンテナがあるし…。

碑のすぐ横を見ると祠が…。怖すぎ…。

少し離れた所にある廃屋。こちらは年相応の崩壊ぶりを見せている。これくらいの崩壊ぶりがかなり廃村スピリットに火をつける。

廃村を離れて南下、きれいに紅葉している紅葉。

駒ヶ根を通るといつも食べているソースカツ丼を食した。うまい、これがうまいんだよ。

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