井戸尻遺跡 その1
八ヶ岳の裾野に形成された縄文時代の遺跡。清里から諏訪へ向かう最中、あまりにも前の車が遅いため、どこかコンビニでも寄ってやりすごそうと思っていた時に看板を見つけたので向かった。
資料館でも見て再び諏訪へ向かおうと思っていたが、意外な催し物に出会いしばし時間を忘れて見学してしまった。

資料館のすぐ手前の駐車場で人がたくさん何か燃やしていた。焼き芋でも焼いているならおこぼれをもらおうと近寄ってみる。

しかし近寄ってみると意外にも焼かれているのは縄文式土器だった。
土器に負けじと好奇心がふつふつと煮えたつ。諏訪へ急がなくてはいけない事をすっかり忘れて話しかけていた。

土器の中を見るとなにやらおぞましげなものが煮え立っている。
聞くと、土器は言わば素焼きの坪であって、そのまま水を入れると漏ってしまう。それを防ぐ為に土器に粥状のものを入れ煮沸することによって目止めをするらしい。この作業を行って初めて土器は完成するらしい。なるほど


土器の口の部分まで煮沸しないのか疑問に思い聞いてみると、水分を入れるのはこの辺りまでであって、上部を素焼き状態のまま残すことによって蒸し器の役割も果たせるからとの事だった。これもなるほど。

話していたら他の土器で煮たシメジ(山で生えてた自然物)をもらった。ちょっと怖かったが食べてみるとうまい。
おじさんの一人が今年は米だけでなく、茸類も不作だとぼやいていた。

続いての頂きものは「四国稗(ひえ)」。
「家畜に食わせてるものよりうまいよ。」と言われたが、稗を食べるのは今回が初めて、最初の一口目を恐る恐る口に入れた。
ざらざらした口あたりだが、思ったよりもいけている。カップ上部の破片は茸らしいがよく分からなかった。

この日は、集まっている人達が、資料館学芸員の指示のもと、自分達で作った土器を焼く日だったのだ。
僅かな含水率の違いで欠けてしまったり割れてしまったりしたものもあったが、素人が作ったとはとても思えない土器ばかりであった。
関東から来たというおばさんは、重文の土器をすぐ近くに見ながら、自分で土器を作れるのは感動だと話していた。
 

土器についている模様は「蛇(マムシ)」らしい。この辺りで当時人間をも倒す動物、蛇の強さを表現したものだという。ちなみに左が♂で右が♀。説明されても区別は全くつかなかった。

一通り話を聞いた後、すぐ目の前にある復元された竪穴式住居の見学に行く。
うちの近くの見晴台遺跡は住居の中に入れなかったが、この遺跡では実際に入る事ができる。これは結構感動。
写真手前のくぼみは住居跡。


 説明板

入口の前に立つ。感動の一瞬。中に入ったが薄暗くて目が慣れるのに少々時間がかかった。

住居内。結構中は広い。屋根の高さの割に天井が低いなと思っていたが、なにやら屋根裏部屋があるようだ。

屋根裏へ上がる階段というかはしご。

上のハシゴを使って屋根裏部屋をのぞく。倉庫がわりに使ったのだろうか。いくつになっても屋根裏部屋というのは男心を妙にくすぐるものだ。

屋根中心部。放射線状に骨(?)が伸びる。

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